ラビリンス その十一

文字数 2,062文字



(あいつだ! あいつが手術室でナースを切り刻んだんだ!)

 龍郎は急いで走っていった。が、相手に気づかれた。ハッとしたように立ち止まった男は逆方向へ引き返し、龍郎の視界から消える。影の映ったところまで行ったときには、本体はどこにも見えなくなっていた。

「青蘭。見たか? さっきのヤツ。あいつがやったんだ」
「うん。メス持ってた」

 どうやら、この封鎖空間に、人を殺して歩く殺人鬼が徘徊しているらしい。
 それが十五歳の青蘭の願望が生みだした産物なのか、じっさいの人殺しなのかはわからないが。

「あいつ、あっちのほうに行ったよな?」と、龍郎が廊下のさきへ向かおうとすると、フレデリック神父が止めた。

「待て。むやみと危険にとびこんでいくのは、よしたほうがいい。要するに、この空間から脱出できればいいんだろう?」
「まあ……そうですね」

 正論なので、なおさらカチンとくる。
 そうじゃない。ただ、神父がライバルだとわかったから、言われることすべてに苛立つだけなのだ。それは自覚している。

 まあ、むやみと殺人鬼にむかっていくことが良策でないのは、龍郎にも理解できた。しかたなく、玄関ホールへむかっていく。

 それにしても、妙に廊下が長い。
 こんなに長い廊下がおさまるほど大きな建物だっただろうか?
 外から見た感じでは、最新式ではあったが、決して大きくはなかった。二階建ての二十メートル四方くらいの建築物だ。

(おかしい。こんな長い廊下、絶対、あの建物に入りきらないぞ?)

 やはり、魔術で構成された世界だ。現実とは間取りが違う。

 ようやくナースステーションにたどりついた。しかし、そこでも惨劇が待っていた。看護師が二人、死んでいる。カウンターの上に一人、もう一人は床に倒れている。二人とも口を左右にかき切られていた。凄惨な死にざまではあるが、さっきの死体にくらべたら、まだしも人間らしさが残っている。

 青蘭がつぶやく。
「……山藤と、荻野目だ」

 山藤。荻野目。その二人は、青蘭の記憶を通して見た人たちのなかでも、強い印象の持ちぬしだ。青蘭に人間の心の醜さを見せつけた人物である。
 血だらけで大きな傷があるのでわかりにくいが、たしかによく見れば、その二人だ。

「あれ? でも、二人は青蘭がクビにしたんじゃなかったか? ここにはいないはずだろ?」
「うん。そのはずなんだけど」

 では、やはり、ここはもう青蘭の記憶の世界ではない。ここからさきは何が起こるかわからないということだ。

「誰が二人を殺したんだろう? さっきの手術室の死体も、たぶん、同一人物の仕業だよな?」
「そうだろうね。このなかに人殺しが何人もウロついてるんじゃないかぎり」

 神父が肩をすくめて、玄関を指さした。
「あれが出口なんじゃないか?」

 シャクだが、逃亡よりリスクの少ない手立ては他にない。龍郎は青蘭の手をひいて、玄関へ向かう。

 歩きながら、青蘭は首をかしげた。
「もしかして、手術室の死体が日下部かな? あの三人に対しては、とくに強い恨みがあったしね。他のナースや医師も大差はないけど。みんな、陰では好き勝手を言ってた。僕の悪口を一度も言わなかったヤツなんて、いなかった」

 龍郎は神父の手前、言葉をにごして聞いてみた。
「職員のなかで、誰が……アレだか見当はついてた?」
「男だってことはわかるけど」
「医者って何人くらいいたの?」
「医者だけじゃないよ。看護師にも男がいたし、清掃職員とか、コックとかもいたし」
「ああ。そうか。男の職員は何人?」
「僕がクビにしたりして、入れかわりが激しかったから。でも、最初から最後まで、ずっといたのは一人だけ……」

 青蘭が言いかける途中で、玄関のドア前についた。龍郎は片手で自動ドアの横の鉄の扉に手をかける。鍵はかかっていない。キッと音を立てて、ドアはひらいた。

(ここを出たら、結界の外——ならいいんだけど)

 外の景色は暗くて見えない。星一つない空だ。こんな濃密な夜を、龍郎は経験したことがない。実家は山奥だから、夜になれば街灯の明かりもない暗闇だが、それでも夜は澄んだ藍色だった。

 思いきって、ドアをあけたあとの四角い空間へ足をふみだす。固い感触が足元にある。島は岩盤の地面だから固いのだろう。なんだか、やけに平らだが。

 数歩、進んだときだ。
 急に龍郎の手をにぎる青蘭の力が強くなる。見ると、ふるえている。

「青蘭?」
「ここ、外じゃない」
「えっ?」
「柵が」

 青蘭の指し示すほうをよく見ると、たしかに鉄の金網のフェンスが周囲をかこっている。建物から出たわけじゃなかった。診療所の屋上だ。青蘭にとっては、失意に打ちひしがれた悲しい思い出の場所である。

「なんで、屋上に?」
「空間が歪んでるんだ」

 とつぜん、近くで「うわあッ」と悲鳴があがった。屋上には貯水タンクがある。その陰になったあたりからだ。走っていくと、争う人影が見えた。男が二人。一人がメスをふりかざし、もう一人を襲っている。殺人鬼に人が殺されかけているのだ。

「やめろッ!」

 龍郎は叫んで、殺人鬼にとびかかっていった。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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