玻璃鏡 その四

文字数 2,078文字


 アパートについたとき、窓があけっぱなしになっていた。
 この寒空に、あの寒がりな青蘭が、窓を全開?

 あわてて、龍郎は鍵をあけ、なかへとびこむ。

「青蘭! 青蘭ッ?」

 青蘭がいない。
 部屋のなかは無人だ。
 見ると、固定電話の受話器が床に落ちている。きっと、電話の途中で誰かが室内に侵入してきたのだ。そして、青蘭をさらった……。

 龍郎は意味もなく室内をぐるぐる歩いたあと、窓辺に立った。犯人を特定できる証拠でも落ちていないかと思ったのだ。しかし、靴跡もついていないし、遺留品もない。警察に通報して任せるしかないのだろうか?

 ため息をつきながら、龍郎は窓を閉めた。天気が悪く、昼間なのに夕方のように暗い。とりあえず電気をつけた。警察に通報しようとして、ポケットからスマホをとりだしたときだ。

 視線が窓のところで止まる。
 そこに信じられないものが映っている。

 あの男だ。フード付きのダウンジャケットを着た男が、包丁を手に青蘭に迫っている。青蘭は手足を縛られていた。危ない。このままでは、青蘭が殺されてしまう。

「青蘭! 青蘭!」

 窓を叩いたが、もちろん、青蘭は龍郎に気づかない。男の持つ包丁を見つめて、何か話しかけているようだ。口はふさがれていない。ただ、その声は聞こえなかった。

 音は聞こえないのだ。
 このガラス窓は、どこか別の場所の景色を映しているだけなのだと、龍郎は悟った。

(ということは、青蘭がつれられていった場所が、今ここに映ってるんだ。そこが、どこかわかれば……)

 たぶん、このガラスがもともとあった場所ではないかと思った。ガラスを通して、離れた空間と空間がつながれてしまったような。

 龍郎はそのまま自転車に乗り、各務工務店を目指した。そこに行ったことはなかったが、住所から推測して自転車を走らせる。すると、表に看板の出た小さな工務店があった。男が数人で作業している。そのうちの一人は、この前、龍郎のアパートに来た二十代の男だ。

「すいません! この前の先輩、まだ連絡つきませんか?」
「ああ、各務さんね。インフルかなぁ? 電話にも出ないんだ」
「各務さん?」

 龍郎が工務店の看板を見あげると、男はうなずいた。

「各務さんは、ここの社長の一人息子だよ。先月、会長のおじいさんが亡くなったから、もうじき社長が会長に、各務さんが社長になるらしいけどね」
「おじいさん、亡くなったんですか?」
「うん。なんか急死だったみたいで。各務先輩もよく訪ねて、お小遣い貰ってたみたいだけどさ。でも、あんまり嘆いてないんだよな」
「各務さんのうちって、どこなんですか?」
「えっ? なんで?」
「急を要するんです! 人命がかかってるんだ!」

 龍郎が叫んだので、社長の各務が驚いてふりかえる。

「お客さん、どうかしましたか?」
「お宅の息子さんに先日、窓ガラスを直してもらったんですが、そのガラスをどこから持ってきたか知りたいんです。早くしないと警察、呼びますよ?」

 警察ざたはマズイと思ったのか、社長は必死に記憶をしぼるようす。

「ああ、何日か前に文雄(ふみお)が、じいさんのうちのガラスを持ちだしてたなぁ」
「亡くなったおじいさんのですね? それ、どこですか?」
「えっ? なんでだね?」
「いいから、早く! 友達がさらわれたんだ!」

 龍郎の形相が険しかったのだろう。社長が二十代の男に命じる。

「安原。案内してやれ。軽トラ出していいから」
「はい。社長」

 ようやく、その場所に急行できることになった。各務工務店と書かれた軽トラックに、安原と二人で乗りこむ。道を急ぎながら、安原は気になることをアレコレと告げる。

「さっきは社長がいたし言えなかったけど、文雄さんって、よくないウワサがあるんだよなぁ。中学生の女の子、車につれこもうとしたり、ギャンブル好きで、いつも金に困ってるとか。あの人のまわりでは、犬猫がよく消える、とかさ。それで会長がだいぶ怒ってたみたいなんだよなぁ。古い人だからさ。『勘当だー!』とか言ってたらしいんだけど、その前に亡くなっちゃって。会長、だいぶ年とってたけど、まだまだ元気そうだったのに」

 聞けば聞くほど、青蘭の身の上が心配になってくる。青蘭をさらったのは各務文雄にまちがいない。今にして思えば、窓ガラスの修理に来たとき、文雄はやけにジロジロ青蘭をながめていた。あのとき、目をつけたに違いない。

(青蘭。ぶじでいてくれ)

 軽トラは性能と交通法が許すかぎりの速度で、M市の町なかを突っ走った。やがて、町外れの古びた一軒家にたどりついた。周囲には原っぱと雑木林しかない。

「ここですよ。会長の自宅。今はもう空き家のはずですけどね」と言う安原の言葉をみなまで聞かず、龍郎は軽トラをとびおりる。

 前庭から見えた建物は古くて立派な日本家屋だ。大きなガラス戸やガラス障子の窓はあるが、龍郎の部屋にあるような中途半端な大きさの窓はない。あの窓ガラスが、この家から持ち出されたのだとしたら、ちょうど同じくらいのサイズの窓があるはずなのだが。

 龍郎はあせった。

 ——と、そのときだ。
 どこからか悲鳴が響きわたった。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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