朽ちる その一

文字数 1,971文字



 七つの世界が朽ちたとき、真の世界は現れる——


 遠くなる意識のなかで、龍郎は見た。
 サンダリンが自分の背中の翼を折りとるのを。
 そして、大きくなった体で、死した女王を抱きしめるのを。

 崩壊する世界のなかに、両者の姿は埋もれていった。

 ハッキリと目覚めたとき、そこは現実世界だった。氏家の屋敷だ。
 真夜中。
 屋敷のなかは静寂で満ちている。
 誰もいないのだろうか?

 龍郎は客間のベッドによこたわっていた。起きあがり、廊下へ出ていく。
 連日、狂乱の殺人劇を演じていた人々は、今夜はどうしているのだろう?

 それに、青蘭は?
 青蘭はどこにいるのか……。

 そっと廊下をうかがう。
 人影はない。

 暗いせいだろうか。
 なんだか、邸内のようすが、いつもと違って見えた。つねに重い空気に包まれてはいたが、今日はそれだけでもない。崩壊に向かう螺旋の巣のなかと、どことなく似ている。

 ポケットをさぐると、ライターが入っていた。自分の持ちものではない。

(そうか。前に清美さんが渡してくれてたっけ)

 たしか食堂に燭台があった。ロウソクが立てたままだったから、あれがあれば明かりになる。

 そう考えて、食堂へ行った。
 扉をあけてみて、龍郎は一瞬すくむ。
 テーブルに突っ伏して、誰かが倒れている。

 どうやら今夜の凶行はもう終わったあとだなと思いながら、龍郎は近づいていった。

 死体の髪が短い。男だ。
 うしろから銃で撃たれている。後頭部に穴があいていた。
 顔面を伏せているが、髪が白い。おそらく、冬真たちの祖父だろう。
 向かいの席には女も倒れていた。たぶん、そっちは祖母だ。

 龍郎はテーブルの燭台をたぐりよせ、ロウソクに火をつけた。わずかな明かりだが、さっきよりはよく見える。

 テーブルに座ったまま殺されている二人を見なおして、ギョッとした。

「な、なんだ、コレ?」

 思わず、つぶやきがもれる。

 この屋敷で毎夜、殺人がくりかえされていることは知っていた。しかし、翌朝には彼らは生き返り、何事もなかったように暮らしていた。

 狂気の夜のほうが、瑠璃の見る夢の世界だと思っていたのだが……。

(夢……たしかに、夢の世界だった。でも、そうか。この屋敷は螺旋の巣とつながっていた。螺旋の巣と、瑠璃の見る夢が、媒体の胎児の死体を通して相互作用することで、邸内の不思議が成り立っていた。螺旋の巣が瓦解してしまったから、この屋敷を瑠璃の見る夢の世界にとどめておく力が失われたんだ)

 これが真の姿だったのだ。
 屋敷のなかは、とうに終焉(しゅうえん)を迎えていた。

 そこにある死体は、冬真や瑠璃の祖父母に間違いない。しかし、いつもの夜のように殺された直後の真新しい死体ではなかった。

 朽ちはて、腐敗が進んでいる。
 眼窩(がんか)からは眼球が流れだし、乾いた穴になっている。ミイラ化が進んでいる。干物のように茶色くなった肉から、ところどころ白い骨が覗いていた。

 これは昨日や今日、殺された死体ではない。死んでから少なくとも数ヶ月は経過している。

 屋敷のなかが、いつもと違って見えたのは、蜘蛛の巣や埃で汚れていたからだ。ここしばらく、誰も邸内を手入れしていないようすだ。

 龍郎は不安になった。
 祖父母がこの調子なら、ほかの人たちはどうなっているのか?

「青蘭! 青蘭! どこにいるんだ?」

 二階に駆けあがっていくと、階段の途中で透子が倒れていた。これも、とうの昔に死んでいる。
 死体をまたいで、さらに上をめざした。瑠璃の寝室には勝久の死体があった。やはり、朽ちている。

(瑠璃はどこだ? 冬真は?)

 二人の姿だけ見えない。
 せめて、二人が手に手をとりあって、逃亡してくれていたらいいと願う。
 生きていてくれることのほうが、どれほど嬉しいことか。

 二階には二人はいなかった。
 階下に降りて、冬真の部屋へ向かう。
 そこにも人影はない。
 無人の虚無だけが、空々しく龍郎を迎える。

「どこなんだ? 冬真。瑠璃さん?」

 青蘭も、どこへ行ったのか。
 瑠璃と青蘭の共鳴は解けた。
 この屋敷のどこかに、青蘭は帰ってきているはずだ。

 それとも、七つの世界のすべてで青蘭を救うことができなかったからか?

 七つのうち六つの世界では、青蘭を生かせた。だが、一の世界の青蘭は龍郎が行く前に死んでしまっていた。一の世界の青蘭はもう帰ってこない。

 だから、青蘭は現実世界に戻ることができなかったのだろうか?

「青蘭! 青蘭ーッ!」

 イヤだ。おまえが戻ってこないなら、おれはなんのために、あんなに必死に戦ったんだ?
 おまえがいなくちゃダメなんだよ。


 ——僕たちは、つがいの鳥だ。どんなに離れていても、魂が呼びあう……。


 そう言ったのは、青蘭のほうなのに。

 そのとき、龍郎は気づいた。
 中庭のザクロの木のそばに、誰かが立っている。

 青蘭だろうか?

 龍郎は夢中で駆けだした。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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