四の世界 その一

文字数 2,015文字



 地下室へ行くと、やはり、仕事部屋の壁には穴があいていた。それも、昨日より確実に大きくなっていた。

「わたし……ここ、嫌い」

 瑠璃がつぶやく。
 龍郎はその細い肩を抱いて、励ました。

「行こう。瑠璃さん。おれが、そばにいるから」

 昨日と同じ暗闇のなかへふみだす。

 けっきょく、今日は神父も現れなかったが、どうなっているのだろうか?
 フレデリック神父のことだから、無事なんだろうとは思うのだが。

 固い岩盤のような洞窟が、しだいに、あのフワフワした感触になる。
 手が壁にあたった。ボロボロと崩れる。腐食しているようだ。

(この柔らかさって、腐ってるからなのか?)

 とにかく、ここにいてはいけない。
 今、女王に出会っても昨日の二の舞だ。
 たしか、一の世界でルリムにつれだされたとき、足元の柔らかい場所から、そうでないところに向かっていった。そして、中央の塔から出ることができたのだ。

 龍郎は立ちどまった。
 かなり遠いが、前方にあの玉座が見える。

(まだ、あそこには行けない)

 ふと、にぎっていた手をながめた。
 なんだか、急にその手ざわりが変わったような気がしたのだ。女性のそれのように、ほっそりとなめらかな青蘭の手とは、なんだか違う。ゴツゴツして、力仕事でもする人のように筋ばっている。

 見ると、いつのまにか、となりに立っていたのは、ルリムだった。

「なぜ、君が……青蘭の手をにぎっていたはずなのに」

 ルリムは怒ったような目をしている。
 赤い目が闇に浮かびあがり、見ためは完全なる悪魔だ。

「青蘭? 誰よ、それ?」
「何を言ってるんだ。君がさらったんじゃないか。おれの大切な人を」

 ルリムは龍郎の手をふりはらって腕を組む。

「あなた、侵入者ね。どうやって、その首飾りを手に入れたの?」
「重要なのは、そのことじゃない。君を信用しろと、清美さんが言った。つまり、君とおれの利害は一致してるということだ。君の目的はなんだ? おれはこの世界の魔法を打ちやぶり、囚われた青蘭を救いだすことだ」
「だから、そんな人間、知らないわ」
「そんなはずがない。君が黒川温泉の宿から——」

 そこで、龍郎は気がついた。
 ルリムが青蘭を知らない。それは、まだ

ということではないかと。

 試しに、龍郎は聞いてみた。

「祭は何日後だ?」
「時間のとらえかたが、あなたたちとは違うけど、今、あなたの思考から読みとった概念で言えば、七日後ね」

 やっぱり、そうだ。
 四の世界は青蘭がさらわれてくるより前の時間軸なのだ。

「ルリム。君はこの世界で何がしたい? おれと君は手を組めるかもしれない」

 ルリムは爪をかんで黙考する。
 その仕草が彼女の化身である冴子のときと同じだったので、龍郎はなんだか安心した。ルリムとは共闘できるという印象を深くする。

「ここでは、話せない。来なさい」

 命令口調だが、ルリムは洞窟のなかを案内してくれた。複雑な迷宮を通りぬけ、女王の塔を脱出する。そして、鉄骨の渡り廊下を四方の塔の一つに向かっていった。幽閉の塔ではない。そのとなりの塔だ。

「ここは王女の塔よ」と、ルリムは言った。

 ルリムがハッチに手をあてると、簡単にひらいた。なかは幽閉の塔にそっくりの構造だ。螺旋のスロープがゆるくカーブを描き、しだいに上部に伸びていく。

 ルリムは塔のなかの一室に龍郎をつれて入った。

「ここなら、秘密の話をしても、いくらかマシ。わたしの結界のなかだから」
「王女の塔って?」
「そう。わたしは王女」
「戦闘天使じゃないのか?」
「バカなこと言わないで。女は時期がくれば羽が生えるものよ。戦闘天使とは違う。天使はできそこないよ」
「ふうん?」
「だから、もうすぐ決断しなければならない」
「何を?」

 ルリムは赤い舌を出し、ペロリと唇をなめた。

「女王に忠誠を誓うかどうかを、よ」
「えっ? なんで?」
「この世界に女王は一人で充分だからよ。王女は女王に何かあったときのための予備でしかない。わたしはもうすぐ、予備の時期をすぎてしまうのよね」
「そうなのか」

 なぜ予備でなくなるのかはわからないが、重大な時期なのだろう。おそらく、ルリムにとっては一生を左右する決断だ。

「あなたは、どうしたいの? この世界の魔法を解くと言ったけど?」
「女王を倒す」

 にやッと、ルリムは口唇をつりあげた。
「いいわ。あなたと手を組む」
「取引成立だ。おれは女王を倒す。君は女王を倒すために、おれに手を貸す」

 握手を求めて、龍郎は右手をさしだした。が、そこで気がつく。自分の右手には苦痛の玉が埋まっている。それは、ふれるだけで悪魔を傷つけ苦痛を与える。悪魔のルリムには龍郎の右手をにぎりかえすことはできない。

「すまない。こっちで」

 かわりに左手をさしだした。
 左手の握手は別れのあいさつだと言うが、ルリムは人間のマナーなど気にしないだろう。

「変なことするのね。まあいいわ。じゃあ、契約成立ね」

 龍郎はルリムと手をにぎりあった。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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