橋の上の悪魔 その一

文字数 2,224文字




 廃墟の一夜が明けた。
 一晩中、清美は泣いていた。
 それは、しかたのないことだ。
 ずっと平和に暮らしていると思っていた家族が、ほんとうは十数年も前に死んでいたのだとわかったのだ。とつぜんの事故で大切な人を失うより、ある意味、もっとショックなことだろう。

 オマケに泣いている清美のよこで、なぜか青蘭がすこぶる不機嫌だった。

 蜘蛛の巣だらけで今にも崩壊しそうな廃屋のなかで寝るわけにもいかないので、せまい軽自動車のなかで一晩をすごしたのだが、とても寝るどころじゃない。

「……いつまで泣いてるの? 寝らんないんだけど」
 ユニコーンを抱きしめた青蘭が、ぶっきらぼうにつぶやく。
「すいません。すいません。でも……でも……お父さんとお母さんが……ううっ……」
「泣いたって生き返るわけじゃないんだよ。現実ってのは厳しいんだ」
「はい。すいません。すいません……」

 運転席で聞きながら、龍郎は気が気じゃない。

 たしかに青蘭の両親は、青蘭が五歳のときに亡くなっているし、祖父母との縁も薄かったようだ。兄弟はいないだろう。幼児のときに天涯孤独となって、たった一人、病院にほうりこまれたのである。
 霊とは言え、この年まで両親に守られてきた清美は、青蘭に言わせれば贅沢なのかもしれない。

(困ったなぁ。なんか、おれだけ幸せな家庭で育って申しわけないな。兄さんのことは悲しかったけど、家族との仲も良好だし、平凡で一般的な家庭だよなぁ)

 どう言ってなぐさめていいものやらわからない。

 ようやく東の空が白んできた。
 夜の闇が一枚ずつヴェールをはぐように薄れていく。

「神社に行こう! あの二又の道のところまで、車で行ったほうが近いよな? 早めに行って、ぶじにミッションが終わったら、ふもとの町で美味しいオムライスを食べようか!」

 二人の気持ちを高めるために、龍郎はわざと明るい声で話しかけるのだが、青蘭も清美も応えてくれない。
 青蘭がオムライスを食べたいと言ったのはずいぶん前だから、もう気分ではないのかもしれない。

 しかし、龍郎はくじけない。
 軽自動車を運転して、二又の道まで来ると、そのわきの落ち葉のつもる路肩に停車した。

「ほら、行こう! あっ、腹減ったかな? たしかダッシュボードに眠気覚ましのガムがある。あれでも噛みながら歩こうか」
「…………」
「…………」

 孤軍奮闘である。
 無気力な人形と恨みがましげな人形と化した、清美と青蘭をつれだして、どうにかこうにか神社へ通じる脇道へ入っていった。

 途中、あの墓へ立ちよってみようとしたが、どうしても、そこへ行きつくことができない。あのときも迷って辿りついただけなので、場所の特定が難しい。

「案外、あれは清文さんや秀美さんの作った結界のなかだったのかもしれないなぁ。現実の場所じゃなかったのかも」

 龍郎が言っても、誰からも返事がない。虚しい……。

「とにかく、神社をめざそうか。さっきの道をまっすぐ行けばいいんだよな? 向こうがわに鳥居が見えてた」

 苦笑いしながら、龍郎は迷路のような山道をひきかえす。
 最初にアスファルトの道路から、神社へ続く脇道に入るところに、目立たない無彩色の鳥居があった。そこから舗装されていない細い道が奥へ向かって続いている。そのさきに、赤い鳥居の上の部分が見えていたのだ。

 ところが、その鳥居の前まで行くと、そこからさきに一歩も進めないことがわかった。
 道が崖で寸断されていたのだ。崖の高さは七、八メートルだろうか。底に川が流れている。大きな石がゴロゴロして、流れが速い。落ちたら大怪我はまぬがれない。
 神社へつながる、ゆいいつの道は、崖のこっちと向こうをつないでかかる橋だけだ。

 だが、その橋のまんなかに変な男が立っている。

 時代劇に出てきそうな濃紺の着流しに(はかま)。侍風のちょんまげをしているが、月代(さかやき)は伸びほうだいで、どう見ても浪人だ。腰に大小の刀をさげている。
 コスプレでないとしたら、三百年前からタイムスリップしてきた武士……ということになる。

「ここは通さぬ!」と、武士は言った。

「どうしよう。青蘭。幻覚が見える」
「幻覚じゃないですよ。僕にも見える」
「あっ、わたしも見えます」

 やっと反応が返ってきた。
 龍郎はホッとした。

「よかった。返事してくれた」
「今そこですか? 違うでしょ? あれ、悪魔ですよ?」
「悪魔か。どおりで時代錯誤なカッコしてる」

 青蘭が答えてくれたので、龍郎はウキウキしてしまう。悪魔が行く手を阻んでいるのに、心が弾んだ。

「あいつ、実体なのかな?」
「違いますね。あれも、悲しみだ。彼はこの場所に強い思いを残して死んだ。だから、その思いが消えないかぎり、ここに在り続ける」
「えっ? でも、それじゃ、今まで誰もあの神社に行けなかったんじゃ?」

 すると、清美が口を出した。
「あのぉ。いいですか? おじいちゃんから聞いたことがあるんですが、あの橋を渡って、向こう岸に行くことができたのは、神社に仕える巫女だけだったって話ですよ。つまり、代々、うちに生まれた女の子ですね。えーと、だから今なら、わたしですか?」

 青蘭はまっすぐ橋の上の悪魔を指さして叫んだ。
「行け! 清美。悪魔を説得してこい!」

 あまりのムチャぶりに、龍郎は嘆息した。
「青蘭。いくらなんでも、それはムリだ。あいつ、刀を抜いたぞ」
「襲ってくるつもりですね」

 橋の上の悪魔。
 濃い陰のまとわりついたおもてに、目だけが白くギラついている。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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