百万本桜 その五

文字数 2,612文字



 見渡すかぎり桜の森。
 桜だけが咲き誇る森のなか、細々と続く小径。
 それは夢のように美しい景色だが、どこか、さみしい。

 瑛斗に言われたとおり歩いていくと、やがて二又にわかれる道に出た。小さな木の看板みたいなものがあって、何やら書いてあるのだが、文字が薄れていて読めない。

 道は左右にわかれている。まったくの逆方向にだ。ここを歩いていって、どちらを選んでも元の場所に帰るなんて、通常ならありえない。

 しかし、結果的にはそうなった。
 じゃあ、二又のどちらでもなく、道を逆戻りしてはどうかと龍郎は考えたのだが、それもムダだったと瑛斗から聞いてきている。

 つまり、道のある三方向のどこに向かっていっても、さっきの地蔵堂に戻るということだ。

(山道に地蔵が置かれていることじたいは変なことじゃないから、疑問に思わなかったけど、でも、待てよ。あんなところになんで地蔵堂があるんだ? だって、ここは悪魔が魔法で作った世界なんだよな? そこに存在するものには、なんらかの意味があるんじゃないか?)

 地蔵っていうのは子どもの味方だ。地獄の閻魔さまが、子どもを守るために姿を変えているのだと聞いたことがある。

(ここって、たくさんの子どもが親に捨てられて死んだ場所だ。飢えて死んだだけじゃないだろうな。なかには熊や猪みたいな獣に襲われて殺されたり、さまよううちに崖から落ちたり……みんな、苦しんだんだろうな)

 想像すると涙がこみあげてくる。
 当時としてはしかたないことだったのだろうが、あんまりにも残酷だ。
 親は子どもが死ぬ瞬間を見なくてすんで気が楽だっただろうが、危険な山中に一人で捨ておかれた子どもは、どんなに不安で心細く、恐怖にふるえながら死んでいったことだろう。

 ベソベソしすぎたのだろうか?
 泣き声が聞こえる。
 自分の泣き声かと思って、龍郎はあせった。が、泣き声は少し離れたところから届いてくる。

(子どもだ。子どもが泣いてる)

 龍郎は夢中でその泣き声をたどった。
 子どもの泣き声を聞くと、近ごろは青蘭が泣いているような気がして落ちつかない。青蘭のなかにいる子どもの青蘭には、まだ会ったことがない。が、つねに涙を流しているのではないかと思うと。

 道なりに歩いているかどうかも、よくわからない。
 しばらく進んでいくと、目の前に洞穴があった。入口のあたりで子どもが泣いていた。五さいくらいだろうか?
 青蘭が火事にあったころの年齢だ。

「青蘭」
 呼びかけると、子どもは泣きやんだ。
 顔をあげて、龍郎を見る。
 青蘭ではない。その年齢だから普通に可愛いものの、青蘭のような特別な美貌ではなかった。
 着ているものは、青色のセーターと半ズボンだ。長い靴下をはいている。靴下も靴も泥だらけで、顔や手足には、ひっかき数がたくさんついていた。長時間、森のなかを迷っていたのだろう。

「ぼく、名前は?」
「良太」
「良太くんか。迷子になったのかい?」
「うん。桜がいっぱいで、おうちに帰れないよ」
「そうか。お兄ちゃんがいっしょに、おうちを探してあげるよ。行こう」
「うん!」
「ほら、手をつなごう?」

 右手をさしだすが、良太は恥ずかしそうにモジモジしている。そのくせ、龍郎があきらめて手をひっこめると、反対側から近づいてきて、左手をにぎった。子どもというのは、よくわからない。

 さっきの二又——正確に言えば三叉路(さんさろ)まで戻ってくると、さっきは読めないと思った文字が見えた。それぞれに、三分め、八分め、腹いっぱいと書かれている。

(なんだ、これ? 腹ぐあいか?)

 龍郎が看板を凝視していると、良太は「こっち」と言って、迷わず腹いっぱいの道を指さす。青蘭たちのいる崖の上の地蔵堂の方角ではない。
 龍郎は迷ったが、行ってみることにした。どっちみち、道がどこに通じているのか、ほんとに地蔵堂にしか行けないのか、調べてみる必要があった。

 良太と手をつないだまま歩いていくと、あっけなく家を見つけた。

(あれ? ここ……)

 昨夜に泊まった寺のあった場所ではないだろうか?
 車道のガードレールが遠くに見えている。周囲は桜だらけだが、そこから見える山の形が朝方に見たときと似ている。

「あっ! ぼくのおうちだ!」
 良太が喜んで龍郎をひっぱっていく。
 龍郎は不思議に思いながらもついていった。

「ただいま! お父ちゃん!」
 こぢんまりした家だ。家の前にささやかな畑がある。その畑をよぎり、良太は縁側から家のなかへあがった。
 手をつながれているので、龍郎もあわてて靴をぬぎ、良太に続いた。

「すいません。縁側から失礼します。どなたかご在宅じゃありませんか? 息子さんが迷子になっていたので、つれてきました」

 縁側と部屋を仕切る障子をあけて声をかけると、奥から男が現れた。
 その顔——住職だ。
 年齢は昨夜見たときより、はるかに若いが面影がある。

 すると、住職は龍郎をにらんで叫んだ。
「なんで、つれてきた! この馬鹿者が!」
「えっ? なんでですか? あなたの息子さんでしょ?」
「こいつが、おれの息子なもんか。女房が浮気して作った子だ。この年まで隠してやがって……だから、だから、おれは……桜を植えたんだ。こいつが帰ってこれんように。桜に惑わされて、二度と帰ってこれんようにだ!」

 ようすがおかしい。
 昨夜に聞いていた話と内容が違う。
 昨夜は良作という男が、死んだ子どもの供養のために植樹したと聞いたが?

「あなたが良作さんですね? 百万本桜を植えた?」
「そうとも」
「お子さんの供養のために植えたんじゃないんですか?」

 良作は皮肉に笑う。
「おれの子じゃない子がどうなろうと知ったこっちゃない。のたれ死ねばいいんだ! 山のなかに捨てて、やっと死んでくれたと思ったのに、頭に角を生やしたこいつが、夜な夜な帰ってくるようになってなぁ。家のなかに入れろぉ、入れろぉと言いやがるから、こいつが迷ってこれんように桜を植えた。魔除けだよ。魔除けさね」

 龍郎は悲しくなった。
 きっと住職ももう狂っているのだろう。自分の愛する息子が自分の子ではないとわかったときに、きっと彼の心のなかで何かが壊れてしまったのだ。
 増殖する桜は、彼の心の狂気が作りだす幻影なのかもしれない。

「でも、良太くんが悪いわけじゃない。何も殺さなくたって……」

 つぶやくと、龍郎の手をにぎっていた小さな手が、すっと離れた。

「良太くん?」

 良太の目が赤く光っている。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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