迷宮の扉 その三

文字数 2,063文字



 そのころ、青蘭はまだ熊本市内のホテルにいた。
 ベッドのなかで手足をひろげ、無気力に天井を見あげている。

 ひさしぶりにアスモデウスが出たようだ。ここ数時間の記憶がない。
 でも、この体のほてりと倦怠感は、たった今まで自分がソレに狂っていたのだとわかる。

(どうして、こうなるんだろう? ほんとは今ごろ僕は龍郎さんと二人で、のんびり温泉にでもつかっていた。それとも、旅先の気安さで、初めて愛をかわしていただろうか? 愛なんて、信じてないけど……)

 でも、龍郎の語る“愛”は、信じてみたい気がしていた。もしかしたら、この人ならと思わないでもなかった。

 それなのに、けっきょく、自分は龍郎を捨て、昔の男と体だけの快楽に耽っている。以前、自分を裏切った男に身をゆだねて。

(僕に似た子は、みんな最後には死んだり、好きな人と別れたり、捨てられたりするんだ……)

 まるで、最初から手詰まりの手札を配られたソリティアみたい。どこへ行っても、袋小路……。

 ぼんやりしていると、となりで気絶したように熟睡していた最上が目をあけた。青蘭には見向きもしないで、冷蔵庫にとびついていく。なかから備えつけの酒瓶を出して、ラッパ飲みした。そしてトイレに行って、しばらくのち、シャワーを浴びる音がする。裸でガラス戸から出てきたあと、ようやく青蘭に視線をなげてきた。

「あいかわらず、化け物だなぁ」と、最上は侮蔑するような口調で吐きすてる。
「おまえと毎晩、こんなことしてたら、そのうち喰い殺されるよ」

 最上の言葉には、わざと青蘭を傷つけようとする悪意が感じられる。
 以前は最上のその言葉の力に翻弄されていた。最上の一言一言に一喜一憂し、侮辱されれば、それは(とげ)のように深々と、青蘭の心臓につき刺さった。

 でも、なぜだろう?
 今は、さほど、刺さらない。
 ただ、自分の愚かしさに笑いたくなった。なぜ、こんなろくでもない男についてきてしまったのだろうかと。そうせざるを得ない運命が呪わしい。

「……なら、なんで、わざわざ追いかけてきたの? たまたま見かけたんじゃないんでしょ? 僕を探してたんだ」
「君は自意識過剰だなぁ。なんで、おれが君を探さなきゃならないのかな? おれはストーカーじゃないよ」
「横領したお金を使いはたしたからでしょ? 三億はあったはずだけど。また甘い汁が吸いたくなったんだ」
「バカだなぁ。そんなわけないだろ? あの金は手切れ金だよ。おまえのじいさんが、これを持って失せろと言ったんだ。おれは、おまえと別れたくなんかなかった」
「…………」

 そう言われれば、信じてみたくなる。彼が自分を裏切ったわけではないと。なんと言っても、最上は人間の男のなかでは、青蘭の初めての相手だ。

 最上は青蘭の顔を上から覗きこんでくる。青蘭の髪をなでながら、甘い声でささやく。
「おれがいなくなって、さみしかった?」

 いつも、こうだ。乱暴な言葉や残酷な事実をつきつけて悲しませたあとは、優しい態度で青蘭をほっとさせる。まるで、暴力夫につくす妻の心情。最上の優しさは上辺だけだとわかっているのに、つい、よりそってしまう。

 子どものころから、ずっと、みんなに裏切られ続けてきた。きっと今度もそうだと思う反面、期待してしまう。

「……さあ、どうだろう?」
 つぶやくと、最上は、
「わかってる。さみしかったんだ。だから、あんなイケメンとつきあったんだろ? 綺麗なおまえと、すごく釣りあってる。でも、あいつはほんとのことを知らない。おまえが、ほんとは——」
「やめて!」

 青蘭は最上の語句をさえぎった。
 それ以上、聞きたくない。
 最上は満足そうに笑う。

「そうだろ? あんなこと、誰にも言えないよな。おまえは化け物なんだよ。青蘭。綺麗な見ためは偽りの姿だ。ほんとのおまえは醜い化け物。おまえがクリーチャーだと知ってて、かまってやるのは、おれだけなんだよ? わかってるだろ?」
「…………」

 わかってる。
 龍郎だって、真実を知れば、きっと去っていく。青蘭のほんとの姿をひとめでも見れば。

 だから、自ら去ったのだ。それを知られる前に。もう裏切られるのはイヤだ。捨てられるくらいなら、自分から捨てる。

「……最上さんだって、お金が欲しいだけなんでしょ? いいよ。僕の助手になってくれるなら、サラリーは払うよ」
「いくら?」
「当面、月二百万かな。特別手当は別に出す」
「ふうん。まあ、いいけど」
「じゃあ、あの場所に行こう」
「どこへ?」
「診療所のある島へ行きたいんだ。あなたに邪魔されてなければ、そこに行く予定だった」
「なんで今さら?」
「僕が化け物だから……かな」
「ふうん」

 最上がどう思ったか知らない。
 そのうち、こっそり、青蘭のクレジットカードか預金通帳を盗んでいなくなるつもりかもしれない。

 それでもいい。
 一人であの場所へ行くのは、つらすぎる。悲しい思い出ばかりに満ちた、あの場所……。

 青蘭は無意識に手を伸ばしかけて、気がついた。

「あっ。ユニを忘れてきちゃった」

 龍郎とすごした数ヶ月が、青蘭の脳裏をかけぬけた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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