ラビリンス その十三

文字数 2,273文字



 悲鳴の流行る晩だ。
 今度は誰だろう?

「下からだ!」

 階下から聞こえる。女の声だ。
 大急ぎで悲鳴の聞こえたほうへ走っていく。

 二階の踊り場にとびおりると、廊下の前方に女が腰をぬかしている。そして、その前にさっきの男が立っていた。最上の言ったとおりだ。それは、あの山羊の悪魔だった。頭部にねじれた角がつきだしている。

 悪魔は龍郎たちの姿を見ると、先刻と同様に暗闇に姿を消した。
 あの山羊男は青蘭との情交を目撃されたときにも、あっさり退散している。かなり警戒心が強いのかもしれない。

 とうとつに神父が言った。

「わかったぞ。つまり、ここはアイツの結界なんだ。青蘭の記憶の世界のなかに、入れ子のようにアイツの結界が内包されていたんだ」

「結界のなかに結界……そんなことができるんですか?」
「かかわりの強い相手どうしなら、できないことはない。結界内は言わば精神世界だ。どんな形にしろ、心に強く刻まれた者は結ばれやすい。おそらく、君たちの力が魔法を発動させたタイミングで、こっそり自分の魔法を連動させたんだろう」

 少年の青蘭と三年以上、ほとんど毎夜、つながれていた山羊の男。認めたくないが、両者のあいだには呪いのような負の絆がある。ましてや、ここは両者が忌まわしい関係を築いていた、まさにその場所だ。地の利も作用するだろう。

 とにかく、女は無事だろうか?

 かけよると、それは冴子だった。殺されそうにはなっていたが、どこも怪我はしていないようだ。これで島に上陸したメンバーが全員そろった。

 冴子が泣きながら、龍郎の胸にすがろうとする。青蘭が思いきり、つきとばしたので、龍郎は困りはててしまう。

「いったーい! 何するのよ!」
「なれなれしく他人(ひと)の男にさわるなよ」
「龍郎はフリーよ。誰のものでもないでしょ?」
「残念。ついさっき、僕のものになった」

 ライバル心むきだしで言いあう二人を見て、龍郎は弱りながらも微笑ましくなる。青蘭がこんなふうに誰かと龍郎をとりあうなんてこと、ちょっと前なら、とても考えられなかった。青蘭は意外とヤキモチ妬きだ。独占してもらえることが、こんなに嬉しいなんて思いもしなかった。

「ね? 龍郎さん? 龍郎さんは僕のものだよね?」
「うん。そうだね」
「ほら、見ろよ。おまえなんかお呼びじゃないんだ」

 龍郎に抱きつきながら、子どもっぽい仕草でアッカンベしている。
 龍郎は笑った。

「ごめんね。冴子さん。でも、最初から、おれには好きな人がいるって言ってたよね。そういうわけだから」

 むくれるかと思ったが、冴子は頭のいい女のようだ。意外にすんなり、ひいた。ただ、その目の奥に妖しい光がきらめいている。単純に諦めたようには見えない。ここでダダをこねても、しかたないと考えただけらしい。

「もういいかな?」と、神父が肩をすくめる。

 神父は青蘭に気があるようだし、人間的にクズだが最上は元彼だし、まわりに油断ができない。

「はい。すいません。ところで、結界のなかの結界って、どうやって出るんですか?」
「普通に結界をやぶればいいだろう。つまり、この空間の場合は、そのぬしである、山羊を倒す」
「なるほど」

 だから、山羊は龍郎たちから逃げまわっているのだ。結界内にいる人間を全員、一人ずつ血祭りにしていくつもりではないかと推測する。

(たぶん、青蘭をつれていくために……)

 邪魔な人間を皆殺しにしたあとは、青蘭をとらえて、地獄へさらっていこうとしているのだろう。
 やはり、諦めてなんていなかった。ずっと機会をうかがっていただけだ。
 悪魔でさえも、青蘭に恋い焦がれる。

 それにしても不思議なのは、なぜ、この好機を狙って現れることができたのか、ということだ。
 青蘭がこの島へ帰ってくるのを待っていたのだろうか? もしそうなら、ひそかに、この島にひそんでいたことになる。絶海の孤島ではあるものの、悪魔なら数年、生きのびることができるかもしれない。

 それとも、悪魔も肉体があれば、食事が必要なのだろうか? たとえば人間に化身しているとき、ヤツらは生物学的には人間なのだろうか?
 だとしたら、独力で食料を調達するのが難しいこの島で、四年も青蘭を待ち続けることは不可能だ。

「ねえ、青蘭。ちょっと教えてほしいんだけど、上位の悪魔は物理的な存在だろ? 肉体を維持するためには食料が必要かな?」
「そうだと思いますよ? 忌魔島でも、人魚たちは魚を食べてた」
「ああ、そうだね」

 それに人間社会に人の姿で入りこんだ悪魔は、正体を隠すために人と同じ生活をしているはずだ。食事もふつうに摂取しているだろう。食品を消化する器官を有しているということだ。つまり、それは、もともと有機物を消化するために必要な器官だからだ。個体にもよるのだろうが、悪魔は血肉となるものを要する。

「じゃあ、おかしいな。ヤツは、ここを解雇されたとき、正体を隠したまま島を去ったはずだ。いったい、いつ、ここにやってきたんだろう? おれたちのあとをつけてきたんだろうか? それにしたって、なぜ、今になって青蘭が島に帰ってくるとわかったんだろう?」

 どこかから、つねに青蘭を見張っていたんだろうか? でも、そうなら、悪魔の匂いに敏感な青蘭が気づかないはずはない。

 沈思黙考する龍郎を、青蘭が見あげる。瞳の奥の鋭利な輝きは、ある事実に行きあたったことを示していた。

「ねえ、龍郎さん。ここに、いるんじゃないかな?」
「えっ?」
「山羊の男。僕らのなかに、いるんじゃないかな」

 たしかに、そうだ。それしか考えられない。それがもっとも腑に落ちる解答。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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