家に帰るとき その一

文字数 2,479文字




 店内にはやわらかな管弦楽の曲が流れ、やや暗い照明が、どこかなつかしいふんいきをかもしだしている。
 調度品もいい感じにレトロな店だ。
 ただし、カレー専門店だが。

「ねえ、愚民? 僕、洋食屋に行きたいって言わなかったっけ?」
「すいません。すいません。レトロな感じが見つからなくて! でも、カレーは美味しいですよ!」
「カレー専門店だからね」
「ですよねぇ」
「僕はオムライスが食べたかったんだけど?」
「すいません。すいません。すいません。もう一回くらい言っときましょうか? すいません。すいません。もういい? ダメ?」

 カレー店の入り口で騒ぐ青蘭と清美を見て、龍郎は苦笑いした。
 この二人がじつは従兄妹だったなんて、なんだか、ありえない気がする。
 しかし、言いあうようすは、意外に気があってるふうに見えなくもない。攻撃的な青蘭と清美の天然っぷりが、うまく釣りあっている。

「まあまあ。こんなとこで立ってたら営業妨害だよ。な? 青蘭。おれ、カレーが食いたいよ」

 龍郎がとりなすと、青蘭はきゅるんと潤んだ目で見あげてきた。長いまつげの陰から濡れた瞳がきらめいて、悩殺的に愛らしい。
 龍郎はカレーより数倍、感覚を刺激されて困ってしまう。公衆の面前で鼻血を噴出するわけにはいかない。ましてや、股間を抑えるなんて、もってのほかだ。

「そう? じゃあ、僕もカレーにする」
「う、うん……そうしよう」

 なんとか、話がまとまって席につく。
 青蘭がキーマカレー、清美がグリーンカレー、龍郎はノーマルなビーフカレーをオーダーした。食後にはチャイも飲めるという。

 料理が運ばれてくると、香辛料の香りが鼻腔をくすぐり、あれほど文句を言っていた青蘭も満足そうに微笑む。

 笑顔がもどったところで、青蘭は言いだした。
「ねえ、清美。おまえ、僕の従兄妹なんだろ? 僕の父のこと、何か聞いてないの?」

 それはもちろん、青蘭としては気になるところだろう。
 青蘭は実の父のことを、これまでほとんど何も知らなかったのだ。エクソシストだったとわかったのも、つい先日だ。

 すると、清美は口ごもった。
 ちょっとドキッとしたようすにすら見える。いつもかけている大きな黒縁の丸眼鏡を外して、眼鏡ふきで磨きだした。眼鏡を外すと、意外と可愛い。オタクっぽさが半減する。

「なんなの? 言いにくいことでもあるの?」
 青蘭に問いつめられて、ゴクリと唾を飲みこむ。
「……星流おじさんが何をしていたのか、聞きたいのはわたしのほうです。おじさんは、たまに家をたずねてきて、お菓子やお土産をくれる優しい人だったんですが、謎も多かったんですよね。死にかたを聞いたとき……あまり驚きませんでした。なんとなく、こんなことになるんじゃないかなという予感があったんです」
「というと、危険なことをしてるようなふんいきがあったわけ?」
「…………」

 青蘭の質問に対して、今度は清美の答えがない。しばらくして、清美は反問してきた。

「お二人は祓い屋か何かしてるんですか?」

 青蘭が不満げな顔になる。
 龍郎はおかしくなった。

「思いっきり和風の言いかたをしたら、そうなるのかな? どっちかっていうと、青蘭のお父さんと同じエクソシストに近いんじゃないかな? 青蘭?」
「そうですね。僕は別に神父でも牧師でもありませんが」

 清美は眼鏡をかけなおして考えこんでいる。
「エクソシスト……ですか。よくわかりませんが、とにかく、お二人には不思議な力があるんですね? 星流おじさんも、そうだったんですね?」

 龍郎はうなずいた。
「まちがいなく、なんらかの能力はあった。青蘭ほと強い力じゃないけど」
 星流の能力を継いでから、龍郎は自分の力をコントロールできるようになった。エクソシストとしての経験値が上がったのだと思う。それほど、星流が鍛錬していたということではなかろうか。

「そうですか。両親はわたしに言いたがらないんですけど、たぶん、わたしも少しだけ、そんな力があるんですよね。子どものころから、予知夢っぽいものは見るし。ぜんぜん、実生活で役に立つほどじゃないですけどね。
 うちは昔、ご先祖がどこかの神社の神主だったらしいんです。それで、ご神体の神宝をずっと守っていたってことなんですよね」

 ん? どっかで聞いた話だなと、聞きながら龍郎は思う。
 しかし口出しするほどでもないかと、清美の次の言葉を待つ。

「あざとみことを祀る神社で、ご神宝は“あざとみことの右目”と言われていたそうです。ただ、わたしが生まれたときには、とっくに廃神社になっていて、ご神宝もうちにはほとんど残っていないんです」

「あざとみことって、どんな字?」と、青蘭が言った。

 清美がコップの下から紙のコースターを手にとると、青蘭が万年筆のキャップをとって、さしだす。キャップを口にくわえて外す癖があるので、妙にエロい。

「こうです」
 そう言って、清美が書いた字は——


“痣人命”


 なんだか、とても禍々しい……。

 龍郎は思わず、うなる。
「怖い。字面が怖いよ」
「ですよね」と、清美も苦笑した。
「うちの家を守ってくれるパーソナルな氏神様だったらしいんです。でも、明治時代の初めくらいに、神社に雷が落ちて全焼してしまいました。そのときご神宝が割れて、欠片(かけら)を残して失われてしまったんだ——と子どものころにおじいちゃんから聞きました」

 青蘭は何か気がかりなようす。緊張した表情でたずねる。
「ねえ、そのご神宝って、なんだったの? 割れたっていうけど、鏡とか、皿とか?」

 なんとなく、すでに予感があった。龍郎もだが、青蘭だって、そう思うから、そんな険しい顔をしているのだろう。

 清美は事情を知らないから、無邪気に答える。
「玉ですよ。このくらいの大きさの、もともとは綺麗な玉だったそうです。少し青みがかっていて、キラキラして、ガラスか何かだったんですかね? 夜空が澄んで星が遠くまで見渡せる日には、歌うような音が玉から聞こえたそうです」

 手で大きさを作りながら清美が言うのは、まさしく——

「賢者の石だ」
 青蘭はつぶやいて、深々と椅子に沈みこむ。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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