妖怪二口女 その四

文字数 2,158文字


 兄が叫んだ。
「繭子を殺すことなんてできない!」

 青蘭の目が一瞬、白々と冷たくなった。
「ふうん。じゃあ、死にな」
「ちょ——待ってくれ。妻を殺したら、兄さんが逮捕されるじゃないか」と、龍郎はあわてて抗議した。
「逮捕? 警察に捕まるのと、取り憑かれて殺されるのと、どっちがマシなんだ?」
「二択しかないのか?」
「悪魔は取り憑いた相手を必ず殺す。あるいは、自分のものにする」
「自分のものって……?」

 だが、あまりにも長時間、ゴチャゴチャと話していたからだろうか。うーんとうなって、義姉が目をあけた。下着をぬがされた自分の姿を見て、義姉は怒り狂った。

 もちろん、睡眠薬を飲まされて眠らされているあいだに下着をうばわれていれば、女ならば誰でも怒る。または悲鳴をあげる。泣きだす。

 しかし、義姉は白目をむいて、こめかみに青筋を浮かべた。
「見た……わね?」

 それは、できの悪いB級ホラー映画で、正体を人間に目撃された化け物が言うセリフだ。あまりにもベタすぎて、ふつうなら笑っていた。けれど、笑うどころか、悪寒しかしない。


 ——ミテハイケナイモノヲミテシマッタ——


 義姉に殺されると、龍郎は確信した。
 だからと言って、人間の姿をしたものを「じつは悪魔です。殺してください」「ああ、そうですか」と簡単に殺せるわけがない。

 恐怖にすくみながら見つめているうちに、兄嫁の足元に変な影がゆれた。

 義姉の顔しか見ていなかったので、龍郎は最初、視界の下方で蠢くそれに、なかなか気づかなかった。何かチラチラしているなと思ってはいたが、腰をぬかした兄の足がふるえているんだろうと思っていた。

 しかし、あまりにも視界の端がゆれるので、チラッとながめて、ギョッとする。畳の上に蛇が這っている。いや、何か違う。蛇……ではない。

 蛇ではないが、大蛇くらいのサイズはある、とても大きな何かだった。

 見おぼえはなきにしもあらずだ。
 実物を見るのは初めてだが。

 これよりもっと小さなものなら、飲み屋でもスーパーの惣菜コーナーや生鮮売り場でも見かけるが、こんなに大きなものを見たことはない。

 クラーケン——

 それは、大きな吸盤のついた巨大なイカの足だ。
 畳の上で、何本もゆらゆらと揺れている。

 龍郎は異様なものの出現を見て、それがどこから現れたのか、もとをたどっていった。吸盤の触手の根元を目で追うと、それらは義姉のスカートのなかに消えていた。

 義姉のスカートから、十本以上もの触手が生えている。
 当然、スカートから生えているわけではないだろう。
 だとしたら、そのつながるさきは……。

「うわあああーッ!」

 龍郎は叫んで、あとずさった。
 兄は叫ぶこともできず、その場でヘタりこんでいる。
 兄の足首に、義姉の触手がまきついた。

「兄さん!」

 龍郎が手を伸ばしたときには、兄の体は触手につかまれたまま、義姉のもとへひきよせられていた。義姉のスカートのなかに、ずるずるとひきずりこまれていく。たくさんの吸盤に吸いつかれながら、兄の体は足首、ひざ、大腿部、腰——と、みるみる見えなくなる。

 ありえない光景だった。
 兄の——成人男子の体が、姉のスカートに吸いこまれていくのだ。物理的に、そこにおさまることは不可能だ。

「兄さん! 保兄さん!」

 龍郎はかけよろうとするが、青蘭に腕をつかまれて、ひきとめられた。青蘭は残酷に宣言する。

「もう遅い。おまえの兄は喰われた」

 その言葉を証明するかのように、義姉のスカートのなかから、バリバリと音が聞こえた。あのスーツケースが立てていたのと同じ音だ。義姉の顔は恍惚としていた。官能的な甘い声でうめきながら、兄を二つめの口で喰っている。

 義姉のスカートの下から生えたたくさんの触手のあいだから、苦悶の表情をうかべた兄の首がぶらさがっていた。
 やがて、それもズブリと吸盤のなかに埋まって消える。

 義姉が感極まった叫び声をあげると、触手のあいだからボトボトと大量の血がこぼれおちてきた。畳が鮮血に染まる。

「ステキ……人間の男って、なんて美味なの」

 義姉はそう言って、龍郎に目をむけてきた。
 すっと、一歩、近づいてくる。義姉の足の動きにつれて、触手もザワザワと蠢く。

「ほんとは、保さんの子どもをたくさん、たくさん生むつもりだったのよ? たくさん、たくさん、たくさん生んで、仲間を増やしたかった。なのに、あなたたちが、こんなことするから……」

 スルスルと触手が伸びてくる。
 こいつは、おれのことも喰うつもりなんだと、龍郎は直感した。あきらめにも似た気持ちで、チョロチョロと近づいてくる触手をながめる。

 そのときだ。
 龍郎の前に青蘭が立ちはだかった。

「下郎。僕のなかのヤツと戦いたいか?」

 義姉は数瞬のあいだ、青蘭の顔を凝視していた。
 初めはバカにするような目つきだったが、じょじょにその表情がうつろう。戸惑うように眉をしかめたかと思うと、眉間のしわが深まり、やがて驚愕と畏怖の色に支配された。

「あ……あなたは……」
「おまえていどの小物でもわかるみたいだな。いいのか? 今すぐ、ヤツを呼ぶぞ?」

 義姉はギリギリと音が聞こえるほど強く歯がみした。
 そして、とつじょ走りだすと、窓をやぶって裏庭の竹やぶのなかへと消えた。

 龍郎はぼうぜんと、それを見送った。



 了
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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