君の声を聞かせて その三

文字数 2,168文字



 宿に帰ると夕食の支度がととのっていた。和牛のステーキや馬刺しを堪能する。
 青蘭はいつもなら酒は飲まないのだが、今日はちょっとだけと言って、おちょこにほんの二杯ほど、日本酒をたしなんだ。

「今日はいいの?」
「龍郎さんがいるときなら、アイツは出てこない気がするんだ」

 言いながら、青蘭は下からすくいあげるように首をかしげて、龍郎を見つめる。ふだん飲まないせいか、すでに瞳が潤んでいる。でもそれは酔いのせいなのか、それとも、別の理由のせいなのか? たとえば、青蘭の目の前に龍郎がいるから?

「青蘭。あの……風呂に入ろうか?」
「お風呂、もういっぱい入った」
「まあ、そうだね」

 洞窟っぽいのや、(ひのき)のや、庭の美しい露天や、どれも風情があって心地よかった。たしかに満喫はした。これ以上、温泉につかっても、ゆだるだけかもしれない。

「ええと……」

 なるべく食事のあいだ、目線がそっちへ行かないよう気をつけていたが、どうしても隣室の赤いベッドが気になる。

「ねえ、龍郎さん。僕、いいよ?」

 瑠璃色の瞳が龍郎を見つめ、近づいてくる。青蘭の目に映る龍郎の姿まで見える距離感。瞳に吸いこまれそうだ。

「せ、青蘭……」

 これまで何度も機会はありながら、達成できなかった。悪魔に襲われたり、清美に邪魔されたり、はなはだしきは青蘭自身に拒まれた。
 でも、今、やっと願いが叶えられる。
 愛する人と結ばれる。
 ただそれだけの、純粋でシンプルな願い。

「青蘭……」

 胸の鼓動はドキドキ。
 胸じゃないところも、ついでにズキズキ。
 くちづけを求めるように目をとじる青蘭を抱きしめる。
 青蘭の頭が、コトンと龍郎の肩に落ちる。

(…………ん?)

 なにやら、すうすうと耳元で聞こえる。これは、まさか、アレか? いや、まさか。こんな場面で、そんなことあるわけがない。そう。まさか、まさか……。

(うっ……ウソだろ? こいつ、寝やがったーッ!)

 龍郎は絶望と諦観のなかで、青蘭の安らかな寝息を聞いた。これはもう朝まで起きないパターンだ。
 青蘭が下戸だったとは。
 たったおちょこ二杯で、すっかり夢の国……。

「ああ……青蘭。ヒドイよ。期待させといて」

 うーん、ムニャムニャとかなんとか、寝ぼけた応えが返ってきた。
 しかたなく、龍郎は青蘭を隣室のベッドに寝かせた。安心しきった寝顔を見ると、苦笑いと微笑ましさが同時にこみあげてくる。

「けっきょく、青蘭。いつも、おまえにふりまわされるんだよな」

 さらさらの青蘭の髪をくしゃくしゃにして、龍郎は立ちあがった。宿に貸し切りの風呂がある。ひと風呂浴びて気持ちを切りかえようと思った。

 ラッキーなことに、清々しい竹林に面した風呂があいていた。宿泊客は無料で使える。サワサワと通りすぎる風の音を聞いていると、気分が落ちついた。

 だが、部屋に帰ったときだ。
 襖をひらくと、ささやき声が聞こえてきた。

「青蘭……」
「うん……」

 まさか、寝落ちしただけじゃなく、もう浮気か?

 あわてて、隣室へとびこみ、ベッドを覗きこむ。
 青蘭が一人で眠っている。
 ほっとして、龍郎は気がぬけてしまった。

(そうだよな。だって、つい昨日、あれだけ大騒ぎして、やっとのこと、つきあうことになって……)

 そこで龍郎は、ふと思った。
 ほんとに、そうだろうか?
 龍郎は青蘭に愛の告白をした。
 しかし、青蘭からの返事をハッキリと聞いたわけではない。龍郎のことを信用するとは言っていた。でも、それはイコール青蘭も龍郎を好きだということではないのではないか?

(……おれたちって、恋人じゃないのかな?)

 以前、冴子と争ったときに、青蘭は龍郎を自分のものだと言ったけど、それは、ただ単に子どもっぽい独占欲なのかもしれない。

 急に不安になった。
 青蘭は少年のころから正常とは言えない環境で育ってきたから、愛のない相手と肉体的な関係を持つことには、あまり抵抗がないようだ。龍郎を誘ったのも、それだけの理由なのかもしれない。

(青蘭の気持ちが、わからない……)

 考えこんでいると、畳の上を何かがよぎった。一瞬だったが、白っぽい小さなものだ。ネズミ……だったのだろうか? ネズミにしても、かなり小さかった気がする。

(自然の多い温泉地だからな。野生のネズミくらいいるだろうな)

 ひらいた窓や縁側などから侵入したのだろうと思った。

 それにしても、さっき、青蘭以外の声が聞こえたような気がしたのだが……。

 調べてみても、むろんのこと、室内には龍郎と青蘭のほか、人間はいなかった。人の隠れていられるような場所も、そうはない。せいぜいベッドの下か、押入れくらい。

(変だな。空耳かな?)

 龍郎はしかたなく、二つならんだベッドの一方にもぐりこんだ。体がホカホカして、なかなか寝つけない。深いため息を吐きながら、フットライトの点灯した部屋の天井を見つめる。

 置物の時計がカチカチと時を刻む。
 とつぜん、どこかでカサリと音がした。そこそこ大きな音だ。思わず、龍郎はベッドの上に身を起こした。音はそれきり聞こえない。

 さっきのネズミ?
 いや、でも、なんだか、おかしい。やはり、何かの気配を感じる。この部屋に、自分たちではない誰かがいるような……?

 落ちつかない気分で夜をすごした。
 真夜中になって眠りにつくまで、ずっと何者かの視線を感じていた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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