青蘭回帰 その四

文字数 2,237文字



 サンダリンが倒れたとき、遠くのほうで何かの崩れる音が轟いた。
 見ると、幽閉の塔の媒体が砕かれている。

 神父が戦闘天使をけちらしながら、こっちに手をふってくる。親指、人差し指、中指を立てたピストルみたいな形のキザな仕草。

「女王を守る魔法が解けた。女王の塔へ行こう!」
「でも、龍郎さん。傷だらけだよ」
「大丈夫。君を守れただけで、おれは幸福だ」

 一瞬、抱きあう。
 それだけで、激しい陶酔感に溺れそうになる。不思議と傷の痛みもひいた。いや、じっさいに小さな切り傷は全部、消えていた。

「スゴイな。青蘭パワー」
「違いますよ。龍郎さんは精神体だから、気の持ちようで回復するんです」
「自己暗示みたいなもんかな?」
「そう」

 でも、それも青蘭がいてくれるからだ。青蘭の存在を感じるだけで、龍郎の力になる。

「壁ぬけもできる。怪我も治せる。てことは、気の持ちようで空も飛べるかな?」
「飛べますよ」
「じゃあ、飛んでみよう。どうせ落ちても、今ならウジャウジャ群れてる戦闘天使が下敷きになってくれる」
「龍郎さんのゲスいところ発見」
「えっ? ダメかな?」
「いいえ。ぜんぜんオッケーですよ」

 笑って、青蘭の肩を抱きよせた。
 思いきって空中に身を投じる。
 青蘭といっしょなら、なんでもできそうな気がした。

 しばしの落下感のあと、すっと風に乗った。ハンググライダーのように見えない翼が風を受け、滑空していく。
 そのまま、女王の塔へつっこんだ。

 女王は玉座の間にはいなかった。さらに奥の暗がりのなかでふるえていた。自分が殺されることを、すでに予感していたのだ。

 哀れだが、これは女王自身が選択した未来でもある。女王がサンダリンの想いを真摯に受けとめていれば、四の世界と五の世界でのことはなかった。

 あの一点が崩壊の始まりだったのだ。

「さよなら。女王陛下。あなたの騎士が地獄で待ってますよ」

 邪神が死んだら、行きさきは地獄なのだろうか? そんなのは人間が考えた死の救済の概念にすぎないのか。

 龍郎は滑空して女王の胸元に飛びこんだ。神剣をふりおろすと、女王の全身にヒビ割れが入り、瓦礫のように粉微塵(こなみじん)になった。

 六の世界も終わった。
 ふつりと世界の消える感覚。

 七の世界へ来たときには、すでに次元が崩壊し始めていた。滅亡の色が濃厚にまといついている。
 建築物の表面が剥離(はくり)し、周囲の岩壁も腐っている。

 天使たちが集結してはいるものの、滅びを止める手立てがなく、右往左往している。もう侵入者どころではないようだ。

 龍郎は青蘭を抱きかかえ、滑空した。
 サンダリンの姿は見えない。
 もう龍郎たちと戦う気もないのかもしれない。

 女王の塔の奥深くで、女王を倒した。
 自分の流した涙の結晶に埋もれ、女王は朽ちた。周囲の壁も次々に腐りおちていく。

 七の世界も滅びた。
 七つの世界のうち六つの世界が終末を迎えた。

 残るは、一の世界のみだ。
 龍郎も青蘭も死んだ世界。
 龍郎も青蘭も存在できない世界。

 でも、ここまで螺旋の巣に滅びが確実に迫っていても、たった一つでも世界が残っていれば、真の世界に到達できない。

 暗闇を流されながら、龍郎は歯噛みする。なぜ、あのとき、かんたんに殺されてしまったのか。
 絶対に青蘭をつれて帰ると心に誓ったのに。
 何が起こっても希望を失ってはいけなかったのだ。

 どうか、頼む。
 おれにまだチャンスがあるのなら、一の世界へ行かせてくれ。
 奇跡を起こしてくれ。

 強く願うと、自分の意識が細い糸のようになって、何かに吸いこまれていくような気がした。

 ハッと心づくと、螺旋の巣のなかに立っている。

(ここは……一の世界か?)

 螺旋の巣は、すでに一の世界しか残っていない。ということは、一の世界に間違いないのだが、ここでの龍郎は死亡して存在がなくなってしまったはずだ。

 しかし、なんだかいつもと視界が違う。いやに遠くまで見渡せるし、暗闇でも昼間と同様に明るく感じる。まるで赤外線スコープでもつけているみたいだ。視力が龍郎より数倍いい。それに、遠くが見えるのは目線が高いせいだ。

 見おろすと、それは自分の体ではなかった。白い戦闘天使の服をまとい、髪も白く長い。顔は見えないが、それが誰の体なのかわかった。

(これ、サンダリンだ)

 龍郎は今、サンダリンの体のなかにいるのだ。


 ——約束しよう。おまえが私を倒したなら、私はおまえの願いを叶える手助けをすると。


 サンダリンの声が聞こえた。

 彼がなぜ、そんなことをするのか、龍郎は初めて理解した。
 サンダリンの渇望するものは、生きているかぎり与えられないからだと。
 朽ちていく運命なら、最後まで、その人のそばにいたいと願うから。

 死ぬことでしか一つになれない。
 それは悲しい愛の形——

 女王の塔へむかった。
 ただ一人で走っていく。

 巣のなかは無気味に静まりかえっている。パラパラと壁がめくれ、雪のように降る。

 もうじき世界が終わる。
 七つのすべての仮の世界が滅び、真の世界が姿を現わす。

 ああ、世界も泣いているのだと、彼は思った。それが龍郎の意識なのか、サンダリンの意識なのか、自分でもわからない。

 玉座に、女王の姿はあった。
 駆けてきたサンダリンの姿の龍郎を見て戸惑っている。

 龍郎はパイプの筒先を女王にむけた。
 青い光がほとばしり、女王は倒れた。

 ガラガラと崩壊する世界の音を聞きながら、サンダリンは幸福だった。
 これで、やっと、母のそばにいられる。永遠に。

 今、とても満足だ。



 了
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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