ザクロの木の下に その三

文字数 2,242文字



 銃声が轟いた瞬間、悲鳴があがった。

 だが、龍郎のほうが一瞬、早かった。
 背後から透子の背中にとびつき、銃口の向きを変えていた。窓が割れ、蜘蛛の巣のようなヒビが入る。

 瑠璃は無事だった。
 その姿を見て安心した龍郎は、全身から、どッと冷や汗があふれてきた。

「フレデリックさん。この人を縛るもの、ないですか?」

 神父は手早く瑠璃のベッドからシーツをはぐと、それで手製の縄を作り、透子を縛りあげた。

「離せ! そいつも殺してやるッ! そいつも殺してやるんだァー!」

 透子がわめくので、さらに神父は枕カバーでさるぐつわもかませた。

「死んでるな」と、勝久の胸に手をあてて、神父は言う。

 ガウンの前をはだけて、勝久は倒れている。龍郎はその死体には目もくれず、瑠璃のもとにかけより、抱きしめた。瑠璃も嬉しそうに、しがみついてきた。

「もう大丈夫だよ。怖かったね」
「いいの。いつものことだから」
「えっ?」
「みんなが、わたしを殺そうとするの」

 龍郎は青蘭のような瑠璃のような、その人の瞳を見つめた。一つだけ明瞭なのは、彼女が助けを求めているということだ。

「どうして? どうして、みんなが君を……?」
「わたしが悪い子だから」

 龍郎は気づいた。
 彼女の体から男の匂いがすることに。
 見れば、下着をはいていない。かたわらに落ちている。黒いネグリジェで隠されているが、その下には何も、はいていないらしいと。

「わたしは嫌なのよ? ほんとは、いつも、すごく嫌だった……」

 龍郎は悔やんだ。

 なぜ、この屋敷に青蘭を一人きりで置いておいたのだろう。
 なぜ、つきっきりで、そばについていなかったのだろう。

 こうなることはわかっていたのに。
 これほどに麗しい人が、誰の庇護もなく無抵抗でいれば、誰だって……。

「ごめん。君を守れなくて」

 抱きしめると、青蘭はそっと泣きぬれた。なんだか、いつにも増して儚い。夢のなかの存在であるかのように。

「行こうか」と、言ったのは神父だ。

 たしかに、グズグズしてはいられない。ほんとの青蘭をとりもどしに行かなければ。

 龍郎は瑠璃の手をひいて、神父のあとについていった。
 わめきちらす者がいなくなったので、屋敷のなかは静寂で満たされていた。気持ち悪いくらい音がない。

「どっちへ行けばいい?」とたずねる神父に、龍郎は地下室のある方向を示す。

「一度目は地下室から行けた。あそこへ行けば、きっと今度も」

 二階へ寄り道したので、ムダな時間を食ってしまった。今夜はザクロの木の下をさぐるのはよそうと考えたのだ。

 客室の前を通りすぎ、廊下のかどをまがって、裏口に近いあたりまで来る。地下室へ続く暗闇は昼間に見るより迫力があった。視界に黒い陽炎がゆらめくような心地さえする。

 神父が言った。
瘴気(しょうき)だな」
「そうですよね。空気が穢されている」
「だからこそ、異界に通じているんだろう」

 龍郎は清美に受けとった懐中電灯をつけた。階段の照明をつけると、母屋から光が洩れ、冬真に見つけられてしまうかもしれない。懐中電灯の明かりなら、地下へ入ってしまえば外まで届かないだろう。

 龍郎が先頭になって、きざはしにふみだそうとした。が、瑠璃がためらう。おびえた表情を見せる。

「心配ない。おれがついてるから」

 言うと、ようやくついてきた。
 そのあとから神父が追ってくる。

 ワイン貯蔵室の前は通過する。
 この前のときにも異変があったのは書斎。何かあるとしたら、そこだ。

「ここまで来たら、明かりをつけても問題ないだろう」

 龍郎は壁のスイッチをひねった。
 そのとたん、ギョッとする。
 書斎のようすが様変わりしていた。
 先日とは、まったく異なっている。

 デスクとチェアだけのシンプルなコンクリ打ちっぱなしの部屋。
 だが、その壁の一面に、大きな穴があいているのだ。コンクリートが崩れおち、丸く洞窟のようになっている。壁の向こうにあるはずの、あの空間につながっている。ザクロの木の根元にあいていた、あの場所だ。

 懐中電灯の光をなげるが、穴のなかは途方もなく広い。さきが見えない。

「ここから螺旋の巣へ行くのか?」と、神父がたずねてくる。

「さあ」としか、龍郎は答えられない。この前は、こんな穴はあいていなかった。

「場所から言っても、怪しいのは事実です。行ってみましょう」
「ああ」

 コンクリートの瓦礫(がれき)を乗りこえ、穴のなかへ入っていく。懐中電灯の光だけが頼りだ。慎重にあたりを照らしながら進む。

 土の壁は今にも崩れそうな気がするが、さわった感じ、案外しっがりしている。天然の洞窟というより、人工のトンネルのようだ。ところどころにザクロの根とおぼしいものが、ヒョロヒョロとびだしているのがグロテスクだ。

 洞窟はななめに下へとくだっている。
 枝道はない。
 ひたすら直進だ。かなり急な勾配(こうばい)がある。

「どこまで続いてるんだ?」
「わかりません。こんなとこ、前はなかった」
「なんだ。君も知らないのか」

 ずいぶん長いあいだ歩いていった。
 不思議と疲れはない。
 時間の感覚があやふやになっていくだけだ。

 やがて、龍郎は妙な感覚になった。
 ここは、ほんとに知らないところだろうか?
 なんだか、前にも一度、来たことがあるような?

 そうだ。まちがいない。この匂い。
 まとわりついてくるような濃密な闇。
 それに、どこからか漂う、頭の奥をジンジンとしびれさせるような気配。

 境界がわからなかった。
 でも、ここは、あの場所だ。

(中央の塔。内部——)

 あの塔のなかにあった洞窟だ。



 了
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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