緋色ひとひら その一

文字数 2,414文字



 君の寝息で目がさめる。
 朝の光がやわらかく窓からさしこむなか、まだ腕のなかでまどろむ君……。

 龍郎は青蘭の寝顔をながめながら、これ以上なく幸せだった。たぶん、人生最良の日だ。きっと、結婚式をあげた翌朝の新郎新婦は、みんな、こんな気持ちなのだろう。

 愛する人と、愛し、愛され、結ばれる。それが、こんなに満ちたりたことだとは。

「青蘭……」

 龍郎の胸によりそう青蘭の頰に、そっと手をあてる。青蘭が目をあけ、龍郎を見て微笑んだ。この笑顔を守るために、おれは存在するんだと、龍郎は思う。

 手と手をつなぐだけで、肌と肌がふれあうだけで、何かがあふれだす。二人にだけ通じるものが。

 そんな朝を、今日で七回、迎えた。
 寝ぼけている青蘭に、龍郎はお医者さんごっこを試みた。青蘭のお腹を右手で触診するのだ。青蘭の声色で、快楽の玉の位置が、なんとなくわかる。

「……何してるの? 龍郎さん。くすぐったい」
「どのへんに快楽の玉があるのかなって。たぶん、このへんだ」
「そこ……ダメぇ」

 女なら子宮のあるあたりだ。
 そこに手をあてただけで、青蘭は身をよじる。

「ねえ、青蘭。もしかして、今でも誰かと抱きあわないと、傷痕が……」
「そうですよ。今は魔王を二体倒したから、たぶん、二、三年は大丈夫だと思うけど……嫌いになった?」
「まさか。じゃあ、青蘭のために、いっぱい悪魔を退治する」
「それか、龍郎さんが……してくれたらいいよ。玉が、共鳴してる」

 青蘭の微笑に誘われて、朝から、とろとろ。苦痛の玉。快楽の玉。たがいの玉をくっつけあう。
 こうしてるときの青蘭は、ほんとに、なんて蠱惑(こわく)的なんだろうか? 悪魔が夢中になるのもムリはない。

 なかなかベッドを離れられない。
 やっと昼ごろになって服を着た。
 温泉街を食べ歩きしていると、いつもの散歩道に、見なれぬ坂道を見つけた。

「あれ? こんなところに道が」
「うん」
「変だな。今までなかったよな?」
「たぶん……」

 茂みのすきまに見え隠れする下りの歩道。のぞいてみると、山林のあいだをずっと、くだっていく。
 昨日までは、たまたま注意して見ていなかったから、気づかなかったのだろうか?

「行ってみる?」
「そうですね」

 すでに慣れ親しんだ散歩道で、ふと見つけた冒険の扉。そんな気持ちで、坂道へ入っていった。とても細い道だ。両側を竹林に覆われ、道幅は一メートルほど。二人で腕を組んで歩くと、竹の葉が肩をこする。

 竹林にかこまれて周囲が見えないが、なんだか、とても静かだ。入口が目立たなかったせいなのか、二人のほか観光客の姿も見えない。

「変だなぁ。どこまで続くんだろう?」
「道が続いてるだけですね」
「静かだし、人目がないのもいいけどさ」

 そぞろ歩きにはちょうどいい。しかし、向かうさきに何があるのかが問題だ。何もないとわかれば、ずっと歩いていくわけにもいかない。そろそろもとの道へ戻ったほうがいいだろうかと、龍郎は来た道をふりかえる。

 まっすぐ進んできたつもりだったが、ゆるくカーブしているのだろうか?
 坂道への入口が見えなくなっていた。
 ちょっと違和感をおぼえたのは、道がいやに長く見えたことだ。歩いてきた以上の距離を感じた。ほんの百メートルかそこらしか進んだ気がしていなかったのに……。

 三百メートル?
 いや、五百?
 道のさきが薄暗くなって、見通せない。

 帰ろうか、進もうか、迷っていると、青蘭が言った。

(いおり)がある。あそこも温泉宿なんじゃない?」

 言われて、龍郎は前方に向きなおった。なるほど。青蘭の言葉どおりだ。進んでいったさきには、小さな庵のような建物がある。さっきまで、まだまだ竹林だけが続いているような気がしていたが、二十メートルほどさきに、それはあった。門の内側に赤い花が咲いている。庵は道のつきあたりにあり、そこで袋小路になっているようだ。

「行ってみましょうよ」

 青蘭が言うので、龍郎はついていった。ほんとうは、あまり乗り気ではなかったのだが。一歩ふみだすたびに、来た道が噛みかけのチューインガムのように間伸びして遠ざかっていくような気がして、気持ちが悪かった。

 しかし、青蘭ははしゃいでいる。
 あの焼け跡のある島で、とても苦しんだので、その反動のようによく笑い、よく喋る。積極的に遊ぼうとする姿が、かえって痛ましかった。それほど、あの島は青蘭にとって辛かったのだと、行動で示しているかのようで。

「わかったよ。行くから、そんなにひっぱるなよ。坂道、こけるぞ」
「こけないよ。子どもじゃあるまいし」

 言ってるそばから、青蘭は敷石につまづいて、よろめいた。あわてて、龍郎は青蘭を抱きとめる。

「ほら。気をつけないと」

 青蘭は龍郎を見つめ、そのまま、胸にすがりついてきた。

 あっ、これはヤバイぞと、龍郎は自覚する。こんなに反応が可愛いと、下半身が命令をきかなくなる。

「青蘭。えーと……」
「ずっと、そばにいてね?」
「えっ?」
「ずっと、僕のそばにいて。どこへも行かないで」
「……もちろんだよ」

 幸福があふれる。
 抱きしめるだけで、もうほかには何もいらないと思えるほどの深い充足感に満ちる。

 きっと、この世が終わったって、君と二人なら、幸せ……。

 そのとき、どこかで変な声がした。
 ギャアッと怪獣の鳴き声のような。

 青蘭はそうとう驚いたようだ。
「わッ。何? 今の」
「たぶん、五位鷺だな。すごい声で鳴くんだよな」

 あわてている青蘭の肩を抱いて、龍郎は庵に近づいていった。さっき見たときより、妙に近い気もしたが。

 門のなかに真っ赤な椿が咲き乱れている。

「こんにちは。どなたかいませんか?」

 玄関の引戸をあけて、薄暗い奥へむかって声をかける。返事はない。
 こんなに風情のある建物だが、もしかして個人の持ち家なのだろうか?
 てっきり宿か料理店だろうと思ったのだが。

「こんにちは。お留守でしょうか? すいません」

 ようやく、コトリと物音が聞こえた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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