ザクロの木の下に その一

文字数 2,290文字



 なぜだ。なぜ逃げないんだ。青蘭——

 呆然としているうちに、目の前に有翼天使が迫っていた。
 あわてて、龍郎は走った。労働天使をつきとばしながら、細い鉄柵を乗りこえる。交差する別の廊下にとびおりようとした。

 が、そのとき背後から体をつらぬかれる衝撃があった。肩に激痛が走り、バランスをくずす。

 そのまま、龍郎は意識を失った。

 次に目をあけると、そこは氏家家の中庭だった。庭に折りかさなるようにして、瑠璃とともに倒れていたのだ。龍郎の胸にすがるように目をとじる瑠璃を見て、龍郎はわけもなく悲しくなった。

 またダメだった。
 いったい、いつになったら、ほんとの青蘭をとりもどせるのだろう。

「せ……瑠璃さん」

 抱きおこすときに、龍郎は気づいた。
 胸がない。貧乳とかいうんじゃない。たぶん、この平坦さは女性用下着(ブラジャー)の下は真っ平らだ。やっぱり女装しているだけだ。

「青蘭?」

 長い睫毛をまたたかせて、瑠璃が目をひらく。龍郎を見て微笑んだ。
 だが、そのとき、バタバタと足音が近づいてきて、あわてたように冬真が駆けつけてくる。

「龍郎! 瑠璃に何してるんだッ!」

 怒りもあらわにして、龍郎から瑠璃をひきはなす。

「何って、二人とも急に気を失ったから。ここの木の下を掘ってくれって瑠璃さんに言われて——」

 冬真は龍郎の指さす穴をふりかえり、青ざめた。

 穴は、そこにあった。
 龍郎が失神する前のときのままだ。
 しかし、そのなかにあったはずの死体は消えている。ただ、がぽりと大きな空洞が木の根元にあいているだけだ。

「なんてことするんだ! すぐ埋めないと!」

 冬真はシャベルを手にとり、穴をうずめようとする。
 しかし、それをひきとめるように、瑠璃がすがりつく。

 いったい、その穴のなかに何があるというのだろう?
 瑠璃はどうしても、そこに葬った何かが気になってしかたないらしい。

 兄妹がおたがいをうかがいあっているすきに、龍郎は穴のなかをのぞいてみた。やはり、何もない。あのとき見た青蘭の死体は幻影だったのだろうか?

(それにしても深い穴だなぁ。どこまで続いてるんだ?)

 なんだか見つめていると、頭がクラクラする。めまいを誘うほどに底の知れない深さがある。

 まるで、地球の裏までつながっているかのような……。

 龍郎は試しに、小石を一つ、穴のなかに落としてみた。が、石は深く深く闇のなかに吸われるように消えて、そのまま音も聞こえなかった。底がないかのような感触だ。

「瑠璃。離れるんだ。早くしないと、ヤツらが来るぞ!」

 冬真はあれほど可愛がっている妹をつきとばして、大急ぎで穴を埋めた。あんなに底知れぬ空洞なのに、龍郎が掘ったあとのわずかの土をかけると、もうふさがってしまう。なんとも異様だ。現実の論理を超越している。

(もしかして、この空洞が、螺旋の巣に通じてるんじゃないか?)

 そう考えると納得がいく。
 屋敷の地下室は中庭にむかって伸びていた。地下の書斎のある位置は、このザクロの木のすぐそばのはずだ。つまり、地下で壁一枚をへだてて、木の根元の空洞と背中あわせになっている……。

 だから、このペンダントを持っているだけでは、螺旋の巣へ行くことができないのかもしれない。
 この木の下にある空洞が、異次元への接点なのだとしたら。

 冬真は穴をふさいでしまうと、目に見えて安堵した。瑠璃の手をひいて逃げるように去っていこうとする。

「待ってくれ。冬真。さっき、この穴からヤツらが来るって言ったよな? ヤツらって、なんだ?」

 冬真は困りはてたようだ。
 龍郎を見つめたあと、進退きわまったふうで言いすてる。

「君の聞きまちがいじゃないか? そんなこと言わないよ」
「違う。ハッキリ言ったよ。『早く穴を埋めないと、ヤツらが来る』って。冬真。この屋敷が異常な状態なのはわかる。でも、協力してくれないと謎は解けない。君は何を隠してるんだ? 教えてくれないか」
「何も隠してなんかいないよ」
「じゃあ、言わせてもらうけど、君がつれていこうとしてるのは、瑠璃さんじゃない。青蘭だ。おれの大切な人なんだ」

 冬真の表情が硬質になる。警戒と怒りの念が見えた。

「バカなことを言うなよ。これは瑠璃だ。龍郎くんこそ、どうかしてるんじゃないのか?」
「どうかしてるのは君だろ? だって、その人は男だ。女装してるけど、その服の下はれっきとした男だ。妹と言い張るにはムリがある」

 冬真は黙りこんだ。
 言いわけを考えているように見えた。
 そして、とつぜん、瑠璃の背中にまわると、ワンピースのジッパーをおろした。

「——おい、冬真!」

 龍郎が止めるのも聞かず、冬真は瑠璃の肩からワンピースを落とした。黒い女物の下着をまとう瑠璃の裸身があらわになる。瑠璃は完全にされるがままだ。青蘭なら少なくとも怒るだろうに、何をされているのかわかっていないようだ。

 むしろ、憤ったのは龍郎のほうだ。
 愛する人がほかの男に人前で服をぬがされた。それも、自分の意思に反して。こんな屈辱、耐えられない。

「おい! よせよ。冬真! いいかげんにしろ」
「こうしないと君が認めないだろ? ほら、見ろよ。どこからどう見ても、瑠璃は女だ」

 言いながら、冬真は瑠璃のブラジャーのホックを外した。なめらかな白い胸が陽光にさらされる。

 龍郎は愕然とした。
 怖かったのだ。なぜ、これを見ても、冬真がまだ瑠璃を自分の妹だと主張できるのか。

 思ったとおり、そこに女性の乳房はなかった。まちがいなく、男なのだ。女性の肌のようにきめ細やかで、なまめかしい芳香を放ってはいるが、女ではない。

「冬真……」

 龍郎は冬真の正気を疑った。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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