忌魔島奇譚 その四

文字数 2,749文字


 龍郎は四苦八苦しながら間隙をぬけだし、やみくもに走った。
 人魚たちが追ってくる。
 すでに漁に出てしまった人魚も多いだろうが、まだ島内には多数の人魚が残っていた。
 うしろからだけでなく、前からも横からも、声を聞きつけて次々と人魚がやってくる。

 人魚たちは人間と同じで男女の比率は半々のようだ。おおむねは現代の洋服を着ている。たまに着物を着ているが、それは紋付はかまのような格式ばった和服ではなく、色あせて汚れた普段着としての着物だ。
 そういうのが、あっちこっちから顔を出して、人魚の町に迷いこんだ人間はどこかと、あたりを見まわしている。

「こっちだ! こっちにいる!」
水楼(みずろう)、おまえ、そっちまわれ!」
「人間は絶対、逃がすなよ!」
「でも、男だな。こんなヤツ、ニエにいたっけ?」
「昨日、士気たちが捕まえたんじゃないか?」
「女たちのオモチャだな」
「いいから捕まえろ。飽きたら食い物にできるだろ」

 前後から挟みうちにされて、龍郎は退路を断たれる。
 しかたなく、家のなかにとびこんだ。ありがたいことに、そこはすでに無人だった。住人の人魚は出かけているらしい。
 土間に(わら)や干し草が敷かれている。米を作っていないのだから、藁ではなく(かや)なのかもしれない。あとは水がめや木の箱のようなものが少量あるだけだ。衣服は壁にかけてある。土間の中央に囲炉裏(いろり)があった。人魚も暖をとるらしい。

 ありがたいことに裏口があった。裏口の引戸をあけて、そこからとびだす。が、通りに出るかと思えば、また家のなかだ。どうやら家と家が戸口でつながっているようだ。
 立て続けに数軒の家のなかを通路がわりに走りぬける。最後の家には(かご)のなかに赤ん坊がいた。顔は可愛いが、下半身が人間のそれではなかった。つぶらな瞳で龍郎を見あげ、ニコニコ笑いながら、触手をニュルニュル動かしている。
 龍郎は吐き気を抑えて、戸口からとびだす。やっと通りに出た。

「どこに行った?」
「あっちのほうだ」
「まだ近くにいるぞ」
 背後の家のなかから、そんな声が聞こえてくる。

 がむしゃらに走りまわっていると、ふいに腕をつかまれた。
「こっちよ」
 ふりかえると、女が立っていた。
「あッ。あんたは——」

 見おぼえのない女ではない。
 それは昨日、山の上の喫茶店にいた女店主だ。
 龍郎は初めて合点がいった。
 この女もグルだったのだ。龍郎や青蘭が人魚を探して近くの港をかぎまわっていると、この女が連絡したに違いない。だから、青蘭はさらわれたのだ。

「あんたが知らせたんだろ? おれたちが今から、あの村に行くって。だから——」
「そうよ。だから? それがわたしの役目。食肉として食べられないかわりに、わたしは連絡係として生かされているの」
「えっ? あんたは人魚じゃないのか?」
「わたしは人間。何年か前にさらわれて……」

 なるほど。そういうことか。
 あんなところに喫茶店なんて建てて、採算がとれるのかとあやぶんだが、もともと利益なんて求めていないのだ。あそこは人魚たちが人間の世界に建てた監視用の砦だ。

「なんで逃げないんだ? あんた、人間なんだろ? あそこからなら、どうにかして逃げられるだろうに」
「人質をとられてるのよ」
「ああ、そうか……」

 この女のせいで青蘭がさらわれてしまった。だが、この女も被害者なのだ。
 そう思うと責めることもできない。

「人質って?」
「それより、まずは逃げないと」

 女にうながされて、家の間のすきまを通っていった。女は住人しか知らない抜け道をよく知っていた。言われるがままに走っていると、やがて森の外れについた。樹木のなかへ入り、茂みに身をひそめると、やっと一息つける。

「ここなら、すぐには見つからないと思う。人魚たちは、ふだん、ここには近寄らないから」
「そうなんだ? 助けてくれて、ありがとう。あんた、名前は?」
香澄(かすみ)よ。稲村香澄」
「おれは本柳龍郎。つれをとりもどしに来たんだ」

 香澄はため息をついた。
「わたしは、あなたまでまきこむつもりはなかったのよ。なのに、来てしまったのね」
「あたりまえだろ。大切な人をほっとけるわけない」
 ちょっと憤然とすると、香澄は苦い笑みを浮かべる。
「あの人、あなたの恋人なの?」

 龍郎は返事に窮した。
 今なら、友人くらいには言ってもいいと思う。だが、恋人かと言われれば、それは違う。惹かれているのはたしかだが、まだ龍郎は自分を同性を愛せる人間だと認めたわけじゃない。友人を大事に思ったっていいじゃないかと、最後の抵抗をする。

「ただの……友達だよ」
「あら、そう。かわいそう」

 なんで、男友達と恋人じゃないからって“かわいそう”なんだ。
 ふつうは、そうだろ?

 龍郎は納得いかない思いで、リュックのなかから、重松に渡された袋をとりだす。握り飯を一つほおばって、水筒のお茶を飲んだ。エネルギーを補給すると、生き返ったような心地になる。

「いる?」
 いちおう礼儀上、香澄にも聞いてみる。が、
「いらない。わたしは外に行けるから、いつでも食べられるもの」という答えが返ってきた。
「じゃあ、残りは青蘭に会ったときに食わせてやるよ」
 袋をもとどおりリュックに入れて背負いなおす。だまって、そのようすをながめている香澄に、龍郎はたずねてみた。
「あんたはなんで、おれを助けたんだ? 自分の責任だと感じたから、罪ほろぼしかな?」

 香澄はいったん、うなだれた。
 顔をあげたときには、決心をかためたような表情になっていた。

「あなたにお願いがあるの。わたしの子どもを、ここからつれだしてほしいの」
「あんたの子ども?」
「そうよ。わたしたちは家族でこの近くの浜辺で海水浴をしているときに、さらわれたの。島にはけっこう、たくさんの人間がいる。でも、それはみんな女よ。男は女のコガミが妊娠するための道具にされて、飽きられたら殺されて食用にされる。わたしの夫も殺された。でも、息子はまだ子どもだから、子どもを作れるようになるまでは生かされるわ。あと五、六年ね。そのあとは夫と同じように殺されて、食われるのよ。そんなこと……させたくないじゃない?」

 龍郎は胸が痛くなった。
 それはヒドイ話だ。
 自分も捕まれば、同様になるのだろうが、今は殺された香澄の夫のことや、彼女の家族のことを思うと、涙がこぼれた。
「なぜ、泣くの?」
「ごめん。いや、わかった。必ず、助けるよ。子どもを人質にされてるんだな? おれたちが逃げだすときに、必ずその子もつれていく」
「……ありがとう」
 感動しているのか、香澄はうつむいて顔をおおった。

「その子はどこにいるんだ?」
「わたしが逃げださないように牢に入れられているの」
「じゃあ、青蘭が捕まってる場所か。教えてくれ。牢って、どこにあるんだ?」

 香澄は森の中心を指さした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み