夜に這う その三

文字数 2,070文字

 目の前に女の顔があった。
 兄嫁だ。繭子が膝立ちで龍郎の顔をのぞきこんでいる。

 寝袋のなかに入りこみ、吸いついているのは口ではなかった。吸盤だ。繭子のスカートから這いだした二の腕ほどもある太い触手が、龍郎の首にからみついている。
 龍郎が目をあけた瞬間、首にまとわりつく触手に力がこもった。グイグイしめつけてくる。

「やめ……はなせ……」
「ダメよ。あなた、ヒドイ人ね。わたし、ほんとはお兄さんより、あなたのほうがいいなって思ってたのよ? 村からぬけだしたかったから、あわてて保さんと結婚したこと、後悔したわ。もう少し早く、あなたと会いたかった」
「やめ……ろ」

 しかし、懇願したからといって、やめてくれるわけがない。
 息が苦しい。意識が朦朧(もうろう)とする。
 このまま、あっけなく殺されるのだろうかと、龍郎は諦観のなかで考えた。

「あなたは綺麗。龍郎さん。あなたの子どもは、きっと、あなたに似て綺麗よね。あなたの子どもを生ませて」

 繭子はたくさんある触手の一つで寝袋のジッパーを下まで全部さげると、龍郎の上に馬乗りになってきた。抵抗しようにも酸素不足で半分、意識を失いかけている。

義姉(ねえ)さん。それはダメだよ。兄さんが……悲しむ)

 繭子に初めて会ったのは、兄が結婚したあとだ。兄の紹介で夕食をともにした。

 両親の反対を押しきってまで結婚した兄。いつもなら、親に逆らう兄ではなかった。
 両親に偵察に行けと命じられた龍郎が、会いたいと言っても、兄はなかなか承知しなかった。

 繭子に会って、その理由がわかった気がした。
 とても綺麗な人だった。それに、運命に抗い逃げてきたような、一種独特の儚さがあった。この人を守ってあげなければと思わせる何かだ。
 兄弟って女の趣味も似るんだなと、龍郎はひそかに思った。もちろん、口に出しては言わなかったが。
 そのことは一生、自分の心の内にだけ秘めておくつもりだった。

 ああ、そうだ。この人と青蘭は似てる。
 儚げで、あぶなっかしくて、ほっとけないところ。
 おれの好みのどまんなかなんだな。
 どおりで、青蘭を見た瞬間、惹きつけられた。惑星の引力に囚われて、衛星になってしまった彗星のように。
 これからはずっと、アイツのまわりをグルグルまわってるんだろう。アイツが地球で、おれが月。きっと、ふりまわされるんだろうに。

 かすみのかかったような意識で、そんなことを考えていた。

 じっさいに自分がどんな状態なのか認識できない。
 パジャマがぬがされて、肌のあちこちを吸盤がチュウチュウ吸っているような?
 挿入にはいたっていない気がするが、それも定かでない。
 事が終われば兄のようにバリバリ食われてしまうに違いない。
 いや、その前に、このまま首を絞めおとされれば窒息死するだろうか?
 なんとか、逃げださなければ……。

 そのときだ。
 とつぜん、龍郎は思いだした。
 頭のなかに、ある映像が流れてきた。


「龍郎や。おまえも二十歳になった。これをおまえに渡すときが来たんだねぇ。これは、おばあちゃんのうちに代々伝わる玉なんだよ。今は欠けて一部しかないけどね」

 あれは二十歳の誕生日を迎えてまもないころ。
 大学の春休みに実家へ帰ったとき、今は亡き祖母が渡してくれた。小さなお守りのような袋だった。

「何、それ? ばあちゃん」
「ばあちゃんのうちは大昔、神社の神主だったんだよ。そのときのご神宝さね」
「ふうん。そうなんだ。でも、なんで、兄さんじゃなくて、おれに?」
「おまえは忘れたかもしれないけどね。おまえが二、三歳のころには不思議な力があったんだよ。保より、おまえのほうが神主の力が強いんだね」
「神主ねぇ」
「おまえはこれを自分の子どもに伝えておくれ」

 神主がどうのと言われてもピンと来ないが、お守りだと思えばいい。龍郎は手を伸ばし、祖母から袋を受けとった。袋が龍郎の手にふれた瞬間、あたりが真っ白に光った。あまりにも強い光だったので、稲光だったのかと思ったほどだ。

 まぶしさに目を閉ざした。まぶたをあげたとき、光はおさまっていた。
 だが、袋がいやに軽い。あけると、なかはカラだった。
 そのかわり、龍郎の手のひらに痣のようなものが刻まれていた。痣と言っても青く透きとおり、キラキラ輝いて、なんだか宝石のようだった。すぐに薄れて消えてしまったが。

「ばあちゃん……これ?」
「不思議なことがあるものだねぇ。きっと、おまえは選ばれたんだよ」


 そうだ。青蘭が言っていた変わった“匂い”。あれは、あのとき龍郎の手のなかに消えた神宝のことだったのだ。

 龍郎は本能的に右手を伸ばした。
 玉の吸いこまれた右手のひらを、繭子の顔に押しつけた。

 ギャアアアッと悲鳴があがり、体が軽くなった。
 何かの壊れる音ともに、外から寒風が吹きこんでくる。
 息ができる。
 せきこみながら見まわすと、繭子はいなくなっていた。窓ガラスが割れて、カーテンがひるがえっている。

 しばらくして、青蘭が寝ぼけながら起きてきた。
「龍郎さん。君って、そういうプレイが趣味なの?」
「…………」

 龍郎は激しく脱力した。



 了
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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