玻璃鏡 その三

文字数 2,171文字


 老人は窓に映る鏡像なのだ。
 暗がりのなかでガラスに光が反射すると、周囲のものが映りこむ。あれと同じだ。窓ガラスに反射して映っているだけ。ただ、そこに映るはずの本体が存在していない。

 まさか、霊だろうか?
 いや、まさかではなく、おそらく百二十パーセント、霊だ。
 だから、本体は見えないんだ。

 龍郎は、そう考えた。

 老人はそのあと、大量の血を口から吐いて消えた。

 気分が悪くなったが、龍郎もこの手の怪異に多少は慣れてきた。相手が攻撃してこないだけ、まだいい。

 青蘭を起こすのも悪いので、寝袋のなかで考える。

 前から、こんなものが見えていたのなら、龍郎だって気づいたはずだ。なにしろ、大学四年間、このアパートで暮らしていたのだ。ということは、老人が見えるようになったのは、つい最近だ。

(そうだ。ガラスが割れて直してもらったあとだ。霊が見えるのは、あのときの窓だしな)

 そう言えば、修理を頼むとき、三十代の男のようすがおかしかった。とりよせないといけないと言ったのに、急に大丈夫だと主張をかえた。

 型が古いガラスだから特注しないといけないと言っていた。ということは、同じ型のガラスがあれば、それで代用できたはずだ。

 たとえば、同じアパートの窓ガラス——とか。

(二階の部屋は住人が孤独死して、改装したって話だ。もしかしたら窓もフレームごと替えたのかも?)

 だとしたら、窓に映る老人は二階で死んだ住人だろう。誰にも看取られず、たった一人で死んでしまったことが悲しいのかもしれない。

 翌朝。龍郎は大学へ行く前に、先日の各務工務店に電話を入れてみた。電話の応対に出たのは、最初にアパートに来たときの一人。二十代の男のようだ。話しかたや声に聞きおぼえがある。

「本柳さん? ああ、この前はどうも。ありがとうございます。また修理ですか?」
「いや、そうじゃなくて、このガラス、どこから持ってきたものですか? うちの上の階のやつじゃないでしょうね?」
「えっと……ちょっと先輩がいないので、よくわからないんですが、何か困ったことでもあるんですか?」
「うちの二階、数年前にリフォームしてるはずなんですが、直したの、お宅じゃありませんか?」
「うん。うちでしましたよ。おばあさんが一人で亡くなったやつでしょ?」

 おばあさん……。
 何か違う。
 窓に映る老人は、たしかに男だ。年寄りのなかには性別がわかりにくい人もいるが、老人はかなり背が高く、老いても彫りが深い。眉毛もしっかりして、どこからどう見ても、おじいさんだ。おばあさんと言われるはずはない。

「……亡くなったのって、おばあさんだったんですか? おじいさんじゃなく?」
「だって、名前が梅子さんだったし」
「ああ……」

 それなら、違う。
 さらに詳しく話を聞くと、窓まではとりかえなかったそうだ。

「どうも、お騒がせしました。ただ、今回の直しで使った窓ガラス、どこから持ってきたものか知りたいので、先輩が来られたら、連絡してもらうように伝えてもらっていいですか?」
「わかりました。先輩、このごろ風邪ひいて長らく休んでるんですけどね。連絡がついたら聞いてみます」

 そのように言われて、電話を切った。
 青蘭が起きてきて、じっと龍郎をながめていた。

「あっ、ごめん。起こしたね。おれ、大学行ってくるけど、一人で大丈夫?」
「うん……」

 青蘭はあの老人の幽霊に気づいているのだろうかと、そのとき、ふと思った。しかし、もう時間がだいぶ押している。このままでは遅刻だ。

「じゃ、行ってくるから」

 とびだして、バスに乗りこんだものの、なんだか、あの部屋に青蘭を一人残しておくことが、やけに気にかかった。青蘭は悪魔退治のプロだから問題はないと思うのだが……。

 昼休み。
 学食のカレーを食べながら、龍郎はどうも落ちつかない。

(どうしよう。青蘭。ちゃんと話してくればよかったな。気づいてるなら、青蘭だって気をつけるだろうし……)

 気になるので、スマホからアパートの固定電話に電話をかけてみた。Wi-fiやらなんやらかんやらコミコミで安かったので、ついでに設置した電話だ。ほとんど使う機会がなかったのだが、初めて役に立った。

 龍郎のまわりでは友人たちが、「彼女に電話?」「龍郎、彼女できたのか?」なんて騒いでいるが、龍郎はそれどころじゃない。

 何度かコールして、やっとつながった。

「あっ、青蘭? 大丈夫か?」
「何がですか?」
「いや、変なことがあったんじゃないかなと」
「別にないですよ」
「……あっ、そう。ごめん。その部屋、霊が出るから」
「この部屋はたくさんいるから、どれのことを言ってるのかわからない」
「えッ?」

 聞きたくないことを聞いてしまった。

「……窓のやつだけど」
「ああ。今日はいないみたい」

 と聞いて、安心したのも、つかのま。
 とつぜん、青蘭が変な叫び声をあげた。電話の向こうで、「あんた、誰?」とか「勝手に入ってこないで」とか、言い争っている。

「青蘭! 青蘭! どうしたんだ? 何があった?」

 呼びかけても答えない。
 青蘭の身に何かあったようだ。
 龍郎はテーブルを叩いて立ちあがる。

「悪い。午後、休む。食器、片づけといて」
「ええ。龍郎。最近、つきあい悪い」
「せいらっての? 彼女。今度、紹介してくれよ」

 彼女じゃないよとツッコミながら、龍郎は走った。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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