忌魔島奇譚 その十

文字数 2,116文字


 優しげで、儚げで、龍郎がひとめで惹かれた繭子の美貌。
 そのおもては今や見る影もなかった。
 左目がつぶれ、その周囲が黒く焼けただれている。

「義姉さん……」

 龍郎が目をそむけると、繭子は笑った。
「どうしてそんな顔するの? あなたがやったことじゃない?」
「……ごめん。わざとじゃ……なかった」
「口で謝ってくれたって、わたしの顔はもとに戻らないわ」

 ズズズッと何かをひきずるような音とともに、繭子が近づいてくる。もう頰が接しそうな距離だ。
 こらえきれなくなって、龍郎は叫んだ。
「義姉さんだって、兄さんを殺したじゃないか! なんで、あんなことしたんだ?」
 即座に繭子も返してくる。
「わたしのこと、殺すつもりだったでしょ? わたしの正体を知ったから。わたしが化け物だから。殺すつもりだったじゃない?」

 言葉につまった。
 たしかに、最初に繭子の正体を探り、悪魔だと知ると殺そうとしたのは、こっちだ。あの時点では、繭子が何かをしたわけではなかった。繭子に害意があったと断定はできない。
 答えることができないでいる龍郎に、繭子は追い討ちをかけるような言葉をなげかけてくる。

「わたしたちが、なんで、こんな不便な島に隠れ住んでるかわかる? 人間に殺されるからよ。人間はわたしたちが人じゃないと知ると、狂ったように攻撃してきて命を奪う。これまで、どれだけの数の仲間が殺されたと思う? わたしたちが何もしなくたって、人間は襲ってくるじゃない? 人魚の肉は不老不死の妙薬だからと言って、仲間が狩られたことだってあるわ。わたしたちが抵抗して、何が悪いの?」

 責められると良心が痛む。
 あのとき、繭子を殺すべきだと、じっさいに龍郎たちは話していた。
 春海の母の夏海だって、人魚だと知られて村の人たちに殺された。
 人間は人間以外の生き物に対して、どこまででも残酷になれる。その裏には恐怖がひそんでいるが。
 恐ろしいから、襲われる前に襲うのだ。とはいえ、狩られる側にしてみれば、人間のほうが遥かに残虐非道な生物に映るだろう。

「すまない。そのとおりだ。でも、兄さんは義姉さんを殺すつもりはなかった。あのときだって義姉さんをかばったんだ」
「……そうね。優しい人だったもんね。保さん。嫌いじゃなかった。わたしの正体を知られさえしなければ、あの人の子どもを身ごもって、わたしはひっそり、この島へ帰るつもりだったのよ」

 子ども——そう言えば、この前も龍郎の子どもが欲しいとか言っていた。

「もしかして、そのために兄と結婚したのか?」
「そうよ。わたしたち小神の女は一生に一度だけ、島の外へ繁殖のために出ていくことを許されるの。島の外から優秀な遺伝子を持ちかえるのよ」
「なんで? 人魚の男だっているじゃないか」
「人間だって近親婚が続くと奇形や先天性の病気を持った子どもができやすくなるじゃない。それと同じ。新鮮な外の血を運んでくるのよ」

 なるほど。近親婚をさけるのは生物としての本能だ。動物ですら、近親交配をさけるために、大人になると子どもは群れから出ていき、パートナーを探す。

「一生のうち、たった一度だけの自由なの。だから……」
 ほんとに愛する人の子どもが欲しかった——と、繭子はつぶやいた。
 繭子の黒い眼窩(がんか)からポロポロと水晶のような涙がこぼれおちてくる。

(やっぱり……似てるんだな)

 悲しい宿命を背負った儚い人。
 そこに惹かれたのだ。
 兄の妻だと知っていながら。

 繭子の唇が、そっと龍郎の口をふさぐ。
 できれば、彼女の願いを叶えてあげたいと思った。でも、今はもう、龍郎の心のなかには別の人が住んでいる。

「……ごめん。義姉さん。それはできない。あなたが人じゃないからでも、兄の妻だからでも、嫌いだからでもない。でも、ダメなんだ」
 繭子の肩を両手でつかみ、引き離す。
 繭子はしばらく、龍郎の目をのぞきこんでいた。
「あの人のせいなの?」
「…………」

 沈黙を守っていたが、繭子は龍郎の顔を見て理解したようだ。あまり、ポーカーフェイスは得意じゃない。

「あの人はあなたにふさわしくないわ。わたしだって化け物だけど、あの人はいけない。あれは同じよ。わたしたちと同じ。化け物よ」
「違う。あいつは人間だ。ただ深く傷ついてるだけなんだ。とても深い傷を心に負ってるんだ」
「男娼よ? 夜どおし男たちに弄ばれて、女みたいに感極まってたわ」

 すっと鋭利な刃が胸に切りこんできた。その言葉が刃物のように心臓に突き刺さる。

「……それでも、青蘭を愛してるんだ」
「…………」

 じっと龍郎を見つめる繭子の瞳に、悲しげな色が宿った。
「わかったわ」

 繭子の足元から触手が伸びる。
 一瞬、龍郎はギョッとしたものの、触手は鉄格子のあいだから廊下へと這っていき、壁にかけてあった予備の鍵束をとりあげた。
「行って。あの人はきっと祭りの生贄にされる。あの人には不思議な力があるから、大神さまに捧げられると思う。その前に助けださないと」
「ありがとう」
「祭りは今夜よ。急いで」
 繭子の触手がカチリと鉄格子の鍵をひらいた。
 龍郎は急いで、廊下へかけだした。

 祭りは今夜——
 もう時間がない。
 青蘭がうまく逃げだしていればいいのだが……。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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