ラビリンス その十四

文字数 2,389文字



 自分たちのなかに、山羊の悪魔がいる——

 いっきに緊張が走った。
 みんながそれぞれの顔をうかがいながら、ジリジリとあとずさる。
 龍郎と青蘭だけが、おたがいの手をにぎりあっていた。他の三人には、信用できる相手が誰もいない。

 最上が押し殺した声でつぶやいた。
「でも……おれを襲った山羊なら、さっき、そこにいただろ? あの化け物といっしょにいたおれは違う」

 神父が首をふった。
「いや、それを言えば、全員、違うことになる。私たちは君が襲われていたときに三人いっしょにいたし、そこのレディーは、さきほど、我々の前で襲撃を受けていた」

「でも、僕の考えは間違ってないと思う。ここは島だ。船で乗りこんでくるしか上陸の方法がない。なら、僕といっしょに来たか、龍郎さんたちといっしょに来るしかなかった。そのあとから追ってきたんじゃ、魔法が発動するまでに、この場所に到着してない」と、あくまで青蘭は主張する。

 神父はうなずいた。
「だろうな。たぶん、我々が目撃した、あの殺人鬼は、ただの影のようなものだろう。悪魔の本体じゃない」

 そう言えば、以前にも、霊体と実体を使いわける悪魔がいた。今回もそういうようなものだろうと、神父は言っているのだ。

「ということは、今、目の前にいる悪魔は、本体の人間ってことですね?」

 龍郎がたずねると、神父はうなずき肯定の意思を示す。

「このなかに、悪魔がいる」

 そしてまた、五人は膠着(こうちゃく)状態になり、たがいを観察しあう。

 ただ、冴子だけは状況がよくわかっていないようだ。自分を襲った化け物がこのなかにいると言われ、恐れおののいてはいるが、結界がどうとか、影がどうとか言われても理解に苦しんでいるようすだった。

「……ねえ、さっきの襲ってきたヤツ、男だったでしょ? あたしは違うわ」

 最上が罵る。
「そんなの化け物なんだから、なんだってできるだろ!」

「まあ、悪魔じゃなくても男装などで、見ための性別を変えるってことはできるな」と、神父まで言う。

 龍郎は気づいたことを言ってみた。
「でも、背が高かった」

 しかし、神父はこれも否定した。
「それこそ、悪魔なら、そのていどのことはごまかせるんじゃないのか? 本体とは言っても、化身した姿だ。真の姿はまったく別のものだ」

 化身するときに、ほんの少し身長を伸縮させるくらいのことは、魔法でなんとでもなりそうだ。

「それに第一、殺人鬼の姿が悪魔の影だとしたら、本体との比較はなんの意味もない」

 そう神父に指摘され、龍郎はひきさがるしかなかった。
 こうなると、誰が悪魔なんだか、さっぱりわからない。

「青蘭。匂いでわからないかな?」
「ダメです。距離が近すぎて、よくわからない。でも、アイツの匂いは……たしかにする」

 嫌なことを思いだしているのだろう。
 うなだれる青蘭の肩を龍郎は抱きよせる。

「もう一人で苦しむことは何もないよ。これからは、おれがいる」
「うん。龍郎さん……」

 龍郎の肩に頭をもたれかけてくる。
 二人のようすを見て、チッと最上が舌打ちをついた。

 そのとき、とつぜん、冴子がささやいた。不安そうな顔をしている。
「ねえ、なんか音がしない?」

 言われてみれば、そのとおりだ。
 足音が近づいてくる。さっき殺人鬼が消えた方向からだ。
 また、あの山羊の作った“影”だろうか?

 龍郎は青蘭の手をつかんだまま駆けだした。かどをまがったとたん、誰かとぶつかった。龍郎は声をあげた。向こうも「わッ」ととびのき驚いている。

「あれッ? なんで、ここに?」
「おお、兄ちゃんか。おどかすなよ」

 なんでだろうか?
 そこにいたのは、冨樫だ。
 日に焼けた冨樫のしわ深いおもてが、暗い廊下の照明に照らされている。

「冨樫さん? どうして、ここにいるんですか?」

 ぽそりとつぶやいたのは、冨樫ではない。青蘭だ。

「守衛だ。この人、以前、この診療所でガードマンをしてた」
「えッ?」

 そんな話、冨樫はしていなかった。
 それに、今この結界のなかに彼がいるのは、なぜなのか?

「まさか、冨樫さん。あなたが……山羊なのか?」

 冨樫は不審げな顔をする。
「山羊? なんで、おれが山羊なんだ? 山羊ってなんだ?」
「しらばっくれないでください。なんで、ここの警備員だったこと、黙ってたんですか?」
「そんなこと、あんたを送るのに、なんの関係もないだろ?」
「そうだけど。じゃあ、なんで、ここで働いてたんですか?」
「探偵ってやつさ。ここを調べりゃ、娘のことが何かわかるんじゃないかと思ってな」
「ああ、なるほど……」

 まあ、もっともな理由ではある。
 屋敷で娘に何かされたと思って潜入捜査していたわけだ。

「じゃあ、今は? どうして帰らなかったんですか?」
「兄ちゃんたちのことが気になってな。途中でひきかえしてきた」

 龍郎はうなった。
 これは信用していいのだろうか。信用してはいけないのだろうか?

 冨樫に対して悪い印象はこれまでなかった。娘を思う親心は本物だ。冨樫が山羊の悪魔だとは考えにくい。

 迷っていると、背後から神父が声をかけてきた。
「まあいいじゃないか。容疑者が多いほうが、ミステリーはおもしろい」
 とっておきのブラッジョークのつもりなのか、クスクス笑っている。

 龍郎は神父の不謹慎さに、かるく気分を害した。どうも、この人とはあわないなと思いながら、
「フレデリックさん。そのジョーク、つまらないです」

 話しているところに、遅れて、最上がやってくる。足を負傷しているから急ぐことができないのだ。

「おい。おまえら、おれを追いてくなよな。襲われたら、どうしてくれるんだ?」

 龍郎はため息をついて、ふと気づいた。
「冴子さんは?」

 冴子の姿が見あたらない。
 さっきから、また血の匂いが強くなったような……?

「冴子さん!」

 急いで、さっきの場所まで戻った。
 廊下のまんなかに、冴子が倒れていた。きれいな顔を朱に染めて——
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み