天使と悪魔 その四

文字数 2,624文字



 呆然としているうちに、島についた。
 まるでテーブルマウンテンのような、平たい崖の上に、中心だけ山が乗っかって盛りあがっている。それが、その島の印象だ。

 この島に、青蘭がいる。
 上陸する前に、すでに、そう感じた。
 青蘭は今、この島にいる。
 そして、龍郎の助けを求めている。
 なぜかはわからないが断言できる。
 きっと、二人のなかにある玉が呼びあっているからだ。

 それにしても、青蘭のなかにいるアンドロマリウスが祖父なら、もう一柱の魔王は何者なのだろう?
 アスモデウス——
 アンドロマリウスの恋人のはずだ。

 そんなことを思案しているうちに、船は接岸した。ちょうど、崖の下のところに波止場のようにつきだした岩があり、そこから崖に階段が刻まれている。

「じゃあ、冨樫さん。五日後に迎え、お願いします」

 冨樫はいったん何か言いたげな顔をした。が、ひらきかけた口をつぐみ、うなずく。

 船から荷物をおろすと、龍郎を先頭にして、崖をのぼっていった。崖は十五メートルほどだ。
 崖の上には、すぐ見えるところに大きな建物があった。病院のようだと、外見からわかる。青蘭が子どものころ入院していた施設だろう。

「誰の姿も見えないな」と、フレデリック神父がつぶやく。

 しかし、この島のどこかに青蘭がいることは、龍郎には感覚的にわかる。

 不穏な空気が島を満たしていた。
 嵐の前のような薄暗さだ。
 空は変わらず晴れ渡っているというのに。

 瘴気(しょうき)だ。
 これまでも何度か見かけた。
 強大な魔力を持つ魔神のいるところには、必ず、空間の歪みのようなものが生まれる。十数年やそこらでは、その歪みは消えない。

(この島に、かつて魔神がいた)

 とてつもない瘴気だ。
 これまで対峙したどの魔王より、ひずみが強い。立っているだけで、頭がクラクラする。

 フレデリック神父が述べた。
「とりあえず、あの病院へ行こう」

 たしかに、島のなかに建物らしきものは、そこしかない。中央の山が邪魔で、島の裏側が見えない。焼け跡は見あたらないから、きっと裏側のほうにあるのだ。

 建物に近づいていく。病院というより、診療所と言ったほうがいいのだろうか。比較的、こぢんまりしている。だが鉄筋コンクリートの立派な外観で、最新設備の個人医院のように見える。

 表口は自動ドアになっていた。
 送電が止まっているようで、もちろん、開かない。自動ドアの脇に、鉄の扉があった。そのドアノブに手をかけると、あっさりひらいた。

 外部に通じる窓が少ないせいか、内部は昼間でも薄暗い。

「青蘭。青蘭? いないのか?」

 声をかけながら、龍郎は歩いていく。
 玄関口にロビーがあり、そこにダンボール箱やクーラーボックスがいくつも置かれていた。なかは食料品だ。青蘭がここに来たという証だ。

 この荷物の山を見て、龍郎は青蘭が一人でないことを知った。青蘭が自分でこれを崖下から運んでくるはずがない。ここまでつれてきてくれた漁師に頼んだのかもしれないが、もしや、まだ最上といるのではないかと思う。

「おーい、青蘭!」

 大声で呼ぶと、どこからか声が届いた。なんだか悲鳴のようだ。

「青蘭?」

 あわてて、声のしたほうへ走っていく。地下へ通じる階段のようだ。龍郎は二、三段とばしでおりていく。そのあとを、神父たちがついてくる。

「フレデリックさん。あなたは、おれたちの食料をここに運んどいてくださいよ」
「冗談。青蘭が助けを求めているんだぞ?」
「青蘭はおれが守る」
「守れてないくせに?」

 つまらないやりとりにも苛立つ。

 しかし、地下の暗闇のなかで、助けを求めていたのは、青蘭ではなかった。
 むしろ、この人だと知っていれば、放置しておけばよかった。たとえ感情的に好まない人物でも、窮地におちいっているのを見れば、助けないわけにはいかなくなる。

 暗い地下の廊下のさきに、ドアが並んでいた。そのうちの一つがひらいていて、なかから喚き声が聞こえていた。なかをのぞけば、男が棚の前で腰をぬかしている。最上だ。やはり、青蘭にくっついて、この島まで来ていたのだ。

 まあいい、こいつから青蘭の居場所を聞きだそうと考え、近づいていった龍郎はギョッとした。最上が倒れているところの棚に陳列されているものを見て。

 よく見れば、まわりは似たような棚だらけだ。ホルマリン漬けのサンプル。
 ここは、そうしたものの保管庫のようだ。

 それにしても、ここに保管されているのは、はたしてなんだろう?

 青黒い鱗のついた肉片のようなもの。
 内臓から目玉が生えたようなもの。
 小さなトカゲとも、あるいは魚鱗状の皮膚の胎児にも見えるもの。
 鳥の片翼の先端に鋭い爪のついたもの……。
 吐き気のするような代物がたくさん置かれている。

「なんだ……コレ?」

 思わずつぶやくと、呆然としていた最上が心づいて、じりじりとあとずさる。
 龍郎は最上の胸ぐらをつかんだ。

「おい! あんた、これはなんなんだ?」
「し……知らない」
「知らないわけないだろ? だって、あんたは青蘭がここにいたころの医者だったそうじゃないか」
「ほんとに知らなかったんだ! おれは実験にまでは参加させてもらえなくて……前から気になってたから、覗いてみただけで……」

 青ざめてひきつった顔を見れば、嘘ではないらしい。

「実験って、なんだ?」
「だから、知らないよ。ただ……クローンは現代のホムンクルスだ——とかなんとか、柿谷(かきたに)教授が言ってたことがある」
「柿谷教授?」
「青蘭の主治医で、診療所の所長だった人だ」
「その人は今、どこにいるんだ?」
「知らない」

 青蘭は十六歳のときに、この診療所を閉鎖して出ていったらしい。そのときに解雇されたということだろう。

(この実験のこと、青蘭は知ってたんだろうか?)

 いったい誰が、誰のクローンを造ろうとしていたのか……。
 おそらくは、青蘭の祖父アーサー・マスコーヴィルの指示だったのだろう。
 それより、とにかく、青蘭の行方だ。

「青蘭はどこだ?」

 最上は首をふった。
「食料を運んでるうちに、一人でどっかに行っちまったよ。まったく、あいかわらず、あつかいづらいヤツだ」

 おおげさに両手をひろげて肩をすくめているので、なぐってやりたくなった。だが、こんなゲス野郎をなぐっても、なんにもならない。つかんでいた胸ぐらを離し、保管庫を出ようとした。

 が——

 どこからか、変な音がする。
 なんだろうか?
 ブツブツとつぶやくような、何かの発酵するかのような……。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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