夜に這う その二

文字数 2,011文字

 その夜はなかなか寝つけなかった。
 龍郎のシャンプーを使っているくせに、風呂あがりの青蘭は、いやにいい匂いがするのだ。これまでの助手たちの苦悩が思いやられた。これは性癖がどうこうというより、我慢をすることがキツイ。

「青蘭がベッド使えよ。おれは床でいいから」
「風邪ひくよ?」
「前にキャンプで使った寝袋がある」
「そう? じゃあ、おやすみ」

 青蘭は布団にもぐりこんだあと、長いこと、龍郎の顔をながめていた。龍郎が前の助手たちみたいに、夜這いをかけるんじゃないかと危ぶんでいるのだろうか?

「な、なんだ?」
「夜中に、僕が……」

 何か言いかけて、青蘭は口をつぐんだ。
「なんでもない。おやすみ」

 こっちに背中を向けてしまうので、龍郎もしかたなく寝袋に入った。晩秋のことだ。夜になれば、かなり冷えこむ。寝袋にくるまっても寒気が首筋に迫ってくる。

 青蘭の寝息がやけに耳につく。
 美しすぎる雇い主と共寝するのは、どうにも気まずい。悪いが明日からは、もとどおりホテル住まいをしてもらおうと、龍郎は巨大な芋虫のような姿で嘆息した。

 それでも、いつのまにかウトウトしていたらしい。
 真夜中、何時ごろだっただろうか?
 ふと、龍郎は目がさめた。誰かの声を聞いたような気がした。
 寝袋のなかから這いだして、耳をすます。
 声の主はすぐにわかった。青蘭だ。青蘭がうなされている。

「たすけ……パパ……ママ……熱いよ……」

 ハッとした。
 火事の夢を見ているのだ。
 やっぱり、あれは幻ではなかったのか?
 現実に起きたことであり、青蘭はそのときの記憶のせいで心に深い傷をかかえているのか?

「青蘭……」

 そっとしのびよって、うなされている青蘭の寝顔をのぞきこんだ。長い前髪が乱れて、いつもは隠れているひたいが露わになっていた。

 龍郎の胸がするどい氷の刃でつらぬかれたように軋んだ。
 青蘭の純白のひたいに、赤黒くひきつれた傷痕がある。髪の生えぎわ近くに、ほんの数センチほどだが、完璧な美貌の中では、それは残酷なほど痛々しい。

 間違いない。
 あのときの子どもが青蘭なのだ。
 魔術の作りだした歪んだ時のはざまで、二人はすでに出会っていた。龍郎にとっては、つい先日だが、青蘭には十数年も前のことだろう。

(かわいそうに。こんなに綺麗なのに……)

 しかし、あのときの傷が、よくこれほど回復したものだ。あれは簡単に完治できるような浅い傷ではなかったのに。

 思わず、ひたいに手をあてると、青蘭が目をあけた。恐怖にすくんだ顔になって、龍郎の手をふりはらう。

「ここはまだ、僕のものだ! 去れッ、アスモデウス!」

 龍郎の姿が見えていないようだった。
 照明をすべて消しているので、青蘭の位置からは窓の月明かりが逆光になっている。視界がきかないのだろう。悪夢の続きでも見ているのかもしれない。

 龍郎は青蘭のおびえかたが尋常ではなかったので、かわいそうになって、音を立てないように注意を払い、寝袋に戻った。

 暗闇のなかで泣き声が聞こえた。
 青蘭が泣いている。
 昼間はあれほど高飛車なくせに、夜には幼子のように恐怖にふるえて涙を流すのか。
 それほどにツライ体験だったのだ。

(そういえば、両親の遺産と言ってたな。あのときの火事で、家族はみんな死んだんだな。きっと)

 励ます言葉もない。
 龍郎は兄が死んだだけで、こんなに悲しいのに、青蘭はとっくに世界中で一人きりだ。

 対処に困りはてていると、やがて、青蘭は泣きやんだ。また眠ったようだ。すうすうと寝息が聞こえてくる。

 ほっとして、龍郎も寝袋におさまった。いや、おさまろうとした。なんだか聞きなれない音がする。青蘭の呼吸音ではなかった。ズッ、ズッと、濡れ雑巾で畳をこするような音だ。

(なんだ? アレ)

 ズッ……ズズッ……ズルル……。

 畳の上を何かが這っている。
 巨大な蛇のような何かが。

 ゾワゾワと背筋があわだった。
 もちろん、龍郎は蛇なんて飼ってないし、そんな音を立てるような品物も置いていない。だとしたら、あれはなんの音なのだろうか?

 息をするのも忘れて聞き入っていた。が、いつしか音はしなくなった。気分が張りつめていたから幻聴でも聞いたのだろうか?

(きっと気のせいだ。もう寝よう。葬式が終わったあとも警察の事情聴取を受けて、疲れたからな。史織や叔父さんが急にあんな死にかたをして……)

 寝袋のなかに入ると、眠れなかったのがウソのように睡魔に襲われた。眠りのなかへと意識が埋没していく……。

 ズッズッ……ズルル……。

 また、あの音がする。
 きっと、気のせい……。

 チイーッ……。
 今度はジッパーのさげられるような音だ。

 寝袋のなかに誰かの手が入ってきた。チュウッと強く首や襟元に唇が吸いついてくる。

(えっ? ちょっと、青蘭? それはマズイよ。理性には限界ってものがあって——)

 そのとき、ふふふ、と耳元で女の声がした。
 ハッとして、龍郎は目をあけた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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