忌魔島奇譚 その五

文字数 2,330文字


 森の中心——
 ぽっかりと穴があいていた、あの場所か。
 牢があるから、あんなふうに穴があいていたのだろうか?
 ずいぶん大きな牢だ。それとも、牢以外にも、そこに何かがあるのか……。

 龍郎はその方角をあおぎみるが、ここからでは何も見えない。うっそうとした木々が視界をさえぎっていた。

「あっちだな? 行こう」
 龍郎が歩きだすと、香澄もついてくる。

 なんだか原生林のような森だ。ような、ではなく、案外そうなのかもしれない。多様な種類の木々がかさなりあい、南国のような風景を形作っている。

 龍郎は歩きながら、気になっていたことをたずねてみた。
「ところで、人魚たちがオオカミとか言ってたけど、ここにはオオカミが生息してるのかな? 君はコガミとか言ってた気もするな」
 香澄の返事はなかった。ふりかえると、香澄の顔が青ざめて、ひきつっている。
「どうかしたの?」
「その名前をここでは出さないほうがいい」
「えっ?」

 香澄は近くに落ちていた小枝をひろい、土の上に字を書いた。
 大神——と。

「漢字で書くと、こうなるのよ」

 オオカミというから、てっきり狼のことだと思っていた。こんな手つかずの森のなかになら、日本狼だって絶滅せずに生き残っているかもしれないと考えたが、しかし、まったくの別物だったらしい。

 大神。大きな神。
 ということは、コガミというのは、たぶん、小神、または子神と書くのだろう。

「そうか。青蘭が言っていた魔王クラスの悪魔って、それか」

 やはり返事はないが、まちがいないだろう。
 それは名前を呼ぶだけで住人に畏怖をもたらすもの。恐怖の権化ということだ。
 そんなやつを相手に戦ったって、ただの人間の自分が対抗できるわけがない。青蘭を見つけたら、すぐに逃げだすしかないと、龍郎は思案した。

 しだいに香澄は過敏になっていく。
 足音さえたてないように注意をはらっているので、龍郎も話しかけるのをやめた。
 無言のまま森のなかを歩いていくと、急に人の声が聞こえた。
 あわてて木の幹に隠れて、周囲をうかがう。
 男が二人、こっちに向かってくる。
 小走りで急ぎながら、こそこそと小声で話をしている。

「……ほんとに? 士気たちが?」
「すげえ上物ひきあてたって。それで、今、みんなにはナイショで……してるって」
「えッ? でも、そんなことしていいのか? ニエは大神さまに……」
「いや、それはいいんだ。つれてきたら男だったって」
「なんだよ、それ。男なんだろ? さっさと女どもにくれてやれよ」
「いや、だから、スゴイんだってよ。みんなにバレる前に早く、おれたちも——」

 すぐ近くの木のうしろに隠れる龍郎には気づかず、走っていった。
 なんだろうか。気になる会話だった。

(牢の方角へ行った。牢ってことは、青蘭が……)

 胸の底でザワザワとさざ波が立った。
 もしかしたら、自分は遅すぎたのかもしれない。
 龍郎は急いで、男たちのあとを追ってかけだした。

「待って。見つかったら大変よ。殺されるわ」
「じゃあ、あんたは、ここにいてくれ。おれだけで行く」
「慎重にって言ってるのよ」

 ひきとめる香澄の手をふりはらい、さっきの男たちのあとを追う。
 しばらくして、前方に建物が見えた。
 たぶん、一人でここを見つけようとしていたら、それだけで何日もかかっていた。なんの目印もない森のまんなかに、ぽつんと建っている。
 人魚たちの住居はどれもこれも粗末な木組みの家だった。竪穴式住居と大差ないていどだが、その建物はレンガ造りだ。大きさもわりとある。
 ここに生贄を集めておくのだとすれば、五十人やそこらは閉じこめておけるだろう。

 人魚たちにとっては大事な生贄だ。
 見張りがついているだろうと思ったのに、外には誰もいない。
 いちおう念入りにまわりを観察するものの、離れて見張っているわけでもなさそうだ。
 思いきって近づいていくと、入口は分厚い木の扉がついている。いくらなんでも鍵がかかっているだろうと思ったのに、ドアノブはまわった。
 簡単すぎて、なにやら心配になってくる。罠ではないのか。

(それはないか。おれと青蘭が二人組みだってことは、香澄さんから連絡があって、ヤツらは知ってたはずだ。もしも、おれも捕まえるつもりなら、昨日まとめてつれていってる。わざわざ罠を張る必要がない)

 繭子のことを考えても、彼らは腕力や体の頑健さでは、はるかに人間を凌駕している。人間を恐れる理由が彼らにはない。
 龍郎が青蘭を助けに来るかもしれないと考えたとしても、それが自分たちの立場をおびやかすとは、これっぽっちも思っていないだろう。

(じゃあ、いったい、なんでだ?)

 鍵をかけ忘れるほど、彼らがあわてたのか、それとも、鍵のことなんてどうでもよくなるほどに、何かに夢中になっているか……?

 何かに……何に?

 音を立てないように、ゆっくりとドアをひらく。
 なかは暗い。
 とうぜんのことながら、島には電気が通っていないだろう。だから、電灯はない。照明があるとしても、江戸時代さながらの提灯(ちょうちん)行灯(あんどん)、ロウソクのようなものに相違ない。

 どうやら、ドアの向こうは長い廊下だ。廊下は外壁にそって続いている。壁に換気用の小さな四角い穴が等間隔に切ってある。そこからななめに差しこむ陽光が、かすかな光を牢のなかに投げかけていた。
 廊下の長さは三十メートルほどか。

 どこか遠くから声が聞こえる。
 叫び声のようなものと、うめき声……。
 それも一人や二人の声ではない。かなり大勢だ。ざわめきが風の音のようにレンガの壁に反響する。

 外から鍵をかけられると困るので、ドアのすきまに木の枝をはさんでおいた。光が入りこむから逃げるときの目印にもなる。

 龍郎は声のするほうへと歩きだした。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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