人魚 その六

文字数 2,109文字

「青蘭ッ?」

 あの声は青蘭だ。
 青蘭に何かあったのだろうか?
 急いで中古の軽を停めた漁業組合所の前まで戻る。

 車のまわりに人だかりがしていた。
 しかし、その姿は薄闇にまぎれて、黒いシルエットになっている。
 龍郎はなんだか違和感をおぼえた。
 シルエットの形が、どうも……あたりまえの人間に見えない。
 思わず、立ちすくんでいたが、車のドアがひらいていて、そこから青蘭がつれだされようとしていた。

「青蘭!」
「龍郎さん!」

 青蘭の声が聞こえた気がした。
 しかし、龍郎がかけよったときには、黒い影たちはひとかたまりになって、海のほうへ向かっていた。
 青蘭の姿が見あたらない。車内は無人だ。ドアがあいたままになっている。
 青蘭はさらわれてしまったのだ。

「青蘭! 青蘭!」

 あわてて、さっきの黒いヤツらを追うものの、すでに姿は見えなくなっていた。いったい、どこに消えたというのか?
 あたりに建物はない。船にも誰かの乗りこんだような気配はない。もしそうなら、まだ甲板に姿が見える。

「青蘭ー!」

 そのあと、龍郎は青蘭を探し続けた。
 しかし、すっかり日が暮れて夜になっても見つけることはできなかった。
 龍郎が途方に暮れていると、背後から声をかけられた。
「あんた、今夜、うちに泊まっていくかい?」
 ふりかえると、重松邦雄が立っていた。

「でも、つれがさらわれて……」
「その人は忌魔島につれていかれたんだと思う」
「えっ?」
「あんたのつれ、若い女だろう? ヤツらは昔から女をさらっていったんだ」
「ヤツらって?」
「人魚だよ」
「やっぱり、あの島には人魚がいるんですね?」

 重松はだまりこんだ。
 しばらくして、背中をむけると、ぼそりと告げる。
「泊まるとこないんだろ? 来な」

 歩きだすので、しかたなく、龍郎は重松についていった。
 昼間に歩いた車道のようだが、途中でわき道に入ったらしく、どこを歩いているのか見当もつかない。
 やがて、重松は一軒の家屋の前で立ちどまり、ガラガラと引戸をあけた。おどろいたことに鍵をかけていない。
 なんだか海岸沿いに敷石をされた細い道が続き、岩壁にしがみつくフジツボみたいな小さな家がならんでいた。
 重松の自宅はそのなかの一軒だ。

 入れ——と、重松は手ぶりで示す。

「じゃあ、お邪魔します……」
 とは言うものの、青蘭のことが気がかりでしかたない。
「あの、ほんとは今すぐ忌魔島に行きたいんですが」

 玄関さきでためらっていると、重松はひとあしさきに家内にあがり、電灯のスイッチを入れた。真っ暗だった家のなかが、ぼんやり明るくなる。電球が古いのかワットが低いのか、点灯しているのに薄暗く感じる。
 玄関をあがるとすぐに四畳ほどの和室があり、その奥にも和室、となりも和室。あいだの襖があけっぱなしになっているので、間取りが丸見えだ。

(うわぁ。レトロだなぁ)

 昭和初期の家に迷いこんでしまった気分だ。たしかに、これなら鍵をかけなくても、盗みに入る泥棒はいないだろう。金目のものは何もない。障子のやぶれめから、蚊や害虫くらいは入ってくるかもしれないが……。

 立ちつくしていると、重松が言った。
「今はムリだ。夜はヤツらの時間だ」
「え?」

 家のなかの惨状に目をうばわれていた龍郎は、言われている意味が一瞬わからなかった。

「なんですか?」
「夜は島には渡れんと言ったんだ。朝になったらつれていってやる」
「ほんとですかッ?」
「ああ」
「ありがとうございます!」

 よかった。これで青蘭を助けに行ける。心ははやるが、青蘭はああ見えて、こういった事件には慣れている。きっと……きっと、龍郎が行くまで自力でどうにかピンチを乗り越えてくれるはず……。

 そう自分に言い聞かせた。

 重松の出してくれた質素な茶漬けで、ぼそぼそと夕飯をすまし、玄関のとなりの和室に布団を敷いてもらった。
 そこはおそらく、重松の死んだ息子の部屋だったのだろう。箱に入ったままのランドセルが新品の机の上に置かれていた。小学校へあがる前に亡くなったということか。

 明日のためにも早く寝ようとするが、なかなか寝られない。
 青蘭のことが心配だ。近すぎる潮騒も睡眠をさまたげる。

 気晴らしに障子をあけると、縁側になっていた。眼下に大海原が一望できる。月の光が銀色に海を照らしている。
 昼間とは別の美しさだ。幻想的で、この世とは異なる世界へ通じているかのようだ。
 どこか物悲しい景色だが、ながめていると心が落ちついた。
 どのくらいのあいだ見つめていたのかわからない。

 ふと、濃紺と黒と銀の絶妙にブレンドされた海面に、ぽつりと立ちあがる杭のようなものが目についた。
 さっきまで、あんなものがあっただろうか? 記憶にない。

 よく見れば、杭のような黒く細長い影は、水面のあちこちに見える。一直線にならんでいた。

(あれ? 動いてないか?)

 杭のようなものは海面をすべるように、じりじりと移動している。

 それに、気のせいかもしれないが、その形状は棒きれのようにまっすぐではなかった。先端が丸く、マッチ棒のようなくびれがあって……そう。人の形に見える。

 海の上を大勢の人間が等間隔にならび、一直線に歩いている——
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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