三の世界 その二

文字数 2,103文字



 近づいてくる。
 腐臭のような邪悪の香りをふんぷんと、あたり一帯にまきちらしながら、ソレが来る。

 地響きとともに、地面が揺れた。

 龍郎たち三人は玉座のうしろに入りこんで身をひそめる。脚の部分だけでも五メートルはある。人間が隠れるには、もってこいだ。

 青蘭が懐中電灯のスイッチを切った。
 あたりは闇に包まれる。
 それでも、あの透視のような力で、うっすらと周囲が見える。

 ズシン。ズシン。グシッ。ズズズ……。

 巨大なものが移動する音が、すぐそばにまでやってきた。

 地面が振動するたびに、体がゆさぶられる。急カーブの続く山道を全速力のスポーツカーで暴走しているような感覚だろうか。右に左に突きあげられそうになるのを、玉座の脚にしがみついて、なんとか持ちこたえた。

 ようやく、闇のなかから大きな黒い影が姿を現した。ルリム・シャイコースは巨大な蛆と聞いていたから、龍郎は醜悪な邪神の出現に心構えした。どんなものを見ても悲鳴をあげないよう、グッと歯をかみしめ、唇をひきむすぶ。

 だが、しだいに明るんでくる視界のなかで、ほのかに見える姿は予想に反していた。思っていたより異質ではない。もちろん、その体高は高すぎるし、カラーリングも異様。現実世界では決して存在するはずのないものだ。

 しかし、それでも、それは人と言えた。巨人である。身長が十メートル以上あるものの、姿形は人間とほとんど変わらない。

 ただ、肌が深海生物のように青白く、かすかに静脈が透けて見える。髪も白く、真紅の双眸だけが異様に目をひく。

 ゼラチンのような半透明の肌色のせいで、容貌の見分けがつきにくい。しかし、どこかで見たことがあるような気がした。誰かに似ている。

(誰だろう? 気になる)

 むしょうに胸の奥が騒いだ。
 この巨人の女が誰に似ているのかわかれば、この世界のありかたへの重要なヒントになる——そんな気がしてならない。

 女王はゆっくりと近づいてきて、地鳴りを響かせながら玉座に座った。おかげで顔が見えなくなった。玉座の脚のあいだから、ドレスのすそと、かかとだけが覗いている。

(この巨人の女が女王か。こいつが、ルリム・シャイコース本体。こいつを倒せば、三の世界の魔法が解ける)

 龍郎は青蘭の白皙(はくせき)を透かし見た。青蘭も龍郎を見つめていた。やろう、今しかないと、目で語りながら、うなずきあう。

 ところが、そのときだ。

 ガツン、ガツン、ガツンと一定のリズムで振動が伝わってきた。女王の歩行ほどの激震ではないが、それなりに背筋に響く。見あげると、女王が玉座のひじかけの部分を指で叩いている。
 どうやら、イライラしているようだ。

 なんだろうか?
 ようすがおかしい。

 しかし、これは好機だ。
 女王のまわりに戦闘天使がいない。
 いかにクトゥルフの邪神でも、快楽の玉、苦痛の玉の共鳴力を得たアンドロマリウスなら、粉砕して消化できる。

(青蘭。準備はいい?)
(いいよ。アンドロマリウスが目を覚ました)

 たがいの目を見かわしただけで意思が通じる。これも精神体として存在している恩恵だろう。

 手をつないだまま、そっと、玉座の下を歩いていく。女王に気づかれないまま、足元まで行ければ、あとはアンドロマリウスが女王を滅するだろう。女王の足に青蘭の手がふれさえすれば……。

 ガツン。ガツン。カツ、カツ、カツ——

 あの音なら、女王が龍郎たちの立てる物音に気づくことは、まずない。

 龍郎は青蘭の手をひいてダッシュをかけた。女王のかかとが目の前に迫る。かかとの高さだけでも一メートル近くある。外しようのない的だ。

「アンドロマリウス。取引きだ。ルリム・シャイコースを倒せ」
「どこをくれる?」
「すい臓を三分の一なら?」
「すい臓はもう全部、おれのもんだ」
「じゃあ、胃袋を四分の一」
「……まあ、いいだろ」

 青蘭がアンドロマリウスとの契約を結ぶ。その瞬間に青蘭の体が青白く光った。

 龍郎の意識も青蘭と一体になっていくのを感じる。膨大なパワーがふくらんでいく。

 これなら、やれる。
 そう、確信したときだ。

 青蘭の手が女王のかかとにふれた瞬間、龍郎たちは岩壁のところまで、数十メートルも弾きとばされた。まるで目に見えない壁にぶちあたったかのように。その壁が青蘭の攻撃を反射したみたいだった。攻撃が強いほどカウンターの威力も激しいのだと、感覚的に悟った。

「青蘭……」

 青蘭はどうなっただろうか?

 頭を強く打ち、龍郎自身も、今にも失神してしまいそうだ。必死につないでいた手のさきを見る。

 青蘭は気を失っている。
 壁がやわらかいおかげで、骨折などはしなくてすんだが、全身を強打した衝撃で脳しんとうを起こしたようだ。

「青……蘭……」

 離れた手をもう一度つなごうと伸ばす。

 しかし、その前に巨大な何かが鼻先をよぎった。女王の指だと気づくのに数秒かかった。半濁した白い大蛇のような二本の指が、青蘭を軽々とつまみあげる。

 女王は玉座から立ちあがり、嬉々とした目で青蘭を持ちあげると、ゆっくり、自分の頭の上へ——

 大きく、女王の口がひらく。

「やめ……ろ! やめろぉーッ!」

 青蘭の体が、つるんと、女王の口のなかへ……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み