ラビリンス その十二

文字数 2,100文字



 光がとぼしい。
 屋外だというのに、月も星も地上を照らすものがない。遠く屋上の出入り口に一つだけ、壁にはめこみの電灯がついていた。貯水タンクのせいで、その光も満足には届かない。

 おかげで、もつれあっている二人の姿は判別できない。黒いシルエットとしてしか見わけられなかった。

 しかし、背の高い男が自分より少し小柄な男にむかってメスをつきつけていることは見てとれた。メスだけが外灯の明かりを受けて、いやにギラギラ輝く。

 かけよる龍郎に気づくと、襲われている男は必死で、こっちに這いよってくる。
「た、助けてくれェー!」
 恐怖のあまり、声が裏返っている。

 龍郎は懸命に走るのだが、なぜか、男まですぐそこなのに、なかなか行きつけない。まるでルームランナーの上を走っているかのようだ。オートウォークを逆走するほうが、まだ早く走れる。

 メスの銀色の光が軌跡を描いた。
 ふりおろされ、ギャッと声があがる。
 殺されたのだろうか?
 いや、違う。
 わあわあと泣きわめく声が続いていた。

「やめろッ!」

 やっと、手の届く距離まで来た。
 すると、メスを持った襲撃者は、きびすを返して逃げていく。
 顔は見えなかったが、一瞬、胸の奥にひっかかるものがあった。

「おい、大丈夫か?」

 殺人鬼を追うのは諦め、倒れている男にかけよる。近づくと、男はものすごい力で龍郎の腕をつかんできた。

「いてェよ。いてェよ。刺された。痛い。痛い。痛い」

 間近で凝視すると、男が誰なのかわかった。最上だ。苦痛に歪む哀れっぽい顔でさえ小憎らしい、最上耀大に他ならない。

「なんだ。助けるんじゃなかったかな」

 思わず、龍郎の口から嫌味がもれる。かなりお人よしの自覚はあるが、最上が青蘭にしたことを思えば、今ここで一発なぐってやりたいところだ。
 どうやら、最上や冴子もこの空間に飛ばされてきてはいるようだ。

「青蘭。どうする? コイツを助けるか?」
「ほっとけば?」

 青蘭は龍郎より、さらに冷たい。もと恋人を見るとは思えない冷淡な瞳で見おろしている。
 まあ、それも当然と言えば当然だ。青蘭が身も心も、もっとも傷つき、誰かにすがらないではいられなかったときに、手痛い裏切りで去っていった男だ。

 しかし、最上はコンクリートの上を這いながら近づいて、青蘭の足をつかんだ。

「助けてくれ。青蘭。おれとおまえの仲だろ? てか、おまえがおれを捨てることなんかできないよな? あのこと、バラされたくないだろ? おまえが、ほんとは——」

 ウンザリして、龍郎は怒鳴りつけてやろうとした。が、青蘭が龍郎の手をとり、ひきとめる。

「こんな人、ほっとこう。このままにしとけば、さっきの男が帰ってくるんじゃない? トドメを刺されればいいんだよ」

 そう言って、青蘭は最上の手をふりほどいた。龍郎の腕に両手をからめ、出入り口のほうへと歩きだす。最上はあせったようだ。

「ま、待ってくれ! 青蘭。なんでだよ? ほんとのおまえを理解できるのは、おれだけだよ。青蘭!」

 なんとか立ちあがったものの、最上は足を負傷しているらしく、思うように歩けない。よろめき、足をひきずっている。

 さすがにこの状態の最上を置き去りにすることはできないと、龍郎は考えた。ほんとうに、さっきの男が帰ってきたら、今度こそ殺される。
 神父もそう思ったようで、しかたなさそうに最上に肩を貸した。

 龍郎は安心して、青蘭とならんで前を歩く。出入り口のドアは、さっき、ここに来たときのまま、まだ開けはなしになっていた。ドアをくぐると、少しだけ明るさが戻ってきた。階段に小さな電球がついている。

「さっきの男、誰だったんだろう? なんで、みんなを襲ってるんだろうか?」
「僕の分身かも……」
「いや、そうじゃない。さっき見たんだ。相手は背の高い男だった。少なくとも、おれと同じくらいの身長はあった」

 青蘭は、ほっとした顔つきになった。
「そうなんだ」

 青蘭が自分を虐げた人たちを、死ねばいいと思うのは当然だ。青蘭の絶望は、彼らに百回殺されるより深かった。それでも青蘭は、以前の記憶のなかの自分の心の暴走かもしれないと思ったとき、良心の呵責を感じていたのだ。

 つらく忌まわしい記憶のせいで屈折してしまったけれど、本来の青蘭はとても慈悲深く優しいのだと、あらためて龍郎は感じた。

 最上がブツブツとつぶやく。
「山羊……だった」
「えっ?」

 驚いて、かえりみる。
 最上は、かたく手をにぎりしめあう龍郎と青蘭を、恨みがましげにながめる。それから、ふいに下劣な品性をむきだしにした。

「青蘭。おまえが夢中で抱かれてた山羊だよ。アイツと同じ目をしてた。獣くせえ化け物にあんなことされて、おまえ、汚えよ。キモイよ。そいつは知ってるのか? おまえがほんとは化け物の仲間なんだって!」
「龍郎さんは、あなたとは違う」
「そんなわけあるかって。コイツだって、おまえの財産に目がくらんでるだけさ。バカだな。まだ信じてるのか? 人間なんて、みんな同じだって、イヤってほど見てきたろ?」

 龍郎は我慢の限界に達した。
 殴ってやろうとゲンコツをにぎりしめたときだ。

 どこからか悲鳴が聞こえてきた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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