百万本桜 その四

文字数 2,231文字



 誰か来る。悪魔だろうか?
 龍郎は身がまえた。
 悪魔の結界のなかで人に出会うとしたら、それはかぎりなく悪魔である可能性が高い。

 だが、しばらくして小径の端から姿を現したのは、疲れきったようすの男女だった。ハイキングのような服装をして、二人ともリュックを背負っている。

「……うそでしょ? また帰ってきたよ? 瑛斗(えいと)、どうしよう?」
「なんだよ、ここ! どうなってんだよ!」
「あたしに怒鳴ったってしょうがないじゃん!」
「うるさいな! キイキイ騒ぐなよ」
 どう見ても仲たがいしているカップルだ。

 二人とも三十に手がかかりそうな年齢で、ことによると女のほうは、さらに少し上。女は十人並みの顔立ちだが、男はまあまあイケメンの部類に入る。いかにも軽薄そうなのと、サラリーマンには見えない風態が気にならなければ、言いよってくる女はそれなりにいるだろう。瑛斗という名前からして、ホストの源氏名のようだ。

 二人は言い争いながら近づいてくる。
 地蔵堂のかげになっているので、まだ龍郎たちには気づいていない。

「なんで、ここから出られないの? 早く家に帰りたいよ」
「騒ぐなよ。腹へるだけだろ」
「あなたがハイキングに行こうなんて言うからじゃない」
「おれだって、こんな変なとこだと知らなかったんだよ」

 どうも悪魔のようには見えない。
 龍郎は地蔵堂のかげからふみだした。
「こんにちは。道に迷ってるんですか?」

 声をかけると、男女が同時にこっちをかえりみる。
 龍郎を見て——というより、龍郎のうしろにいる青蘭を見て、度肝をぬかれている。つれの龍郎でさえ、この風景のなかで見る青蘭は桜の精霊のようだと思ったのだから、見ず知らずのアベックが、恐ろしく蠱惑(こわく)的な魔性のように思うのはしかたのないことだ。

「あ、大丈夫です。おれたちも道に迷ったんです。車道に置いた車まで戻りたいんですが、なかなか、そこまで行けなくて」
「ああ、そう」

 見るからに、ほっとしたようすで、男女は近づいてくる。女は恐る恐る。瑛斗は目に見えて元気をとりもどし、興味津々で青蘭の顔をながめに来る。

「うわぁーッ。すっごい美人だなぁ! おれが知らないだけで、もしかして芸能人? モデルとか新人女優? アイドルっていうよりは綺麗系の顔立ちだよね。こんな美人、生まれて初めてみた!」

 瑛斗が手を伸ばしてきて、勝手に青蘭の手をにぎろうとする。
 すうっと青蘭の目が細くなり、何事か話しだすように赤い唇をひらくので、龍郎は理解した。青蘭が「この愚民が、僕は男だ。どこに目をつけている?」と、言いだすつもりであることを。

 龍郎はサッと手を出し、瑛斗の手をにぎった。必要以上に強くにぎりしめてやる。
「こんにちは。おれは龍郎。こっちは、おれの男友達の青蘭」
「男友達?」
「男友達!」
「……そっか。おれは瑛斗。こっちは、ほのか」

「そっか」の前の

に、龍郎は瑛斗の激しい落胆と失望を察した。自分がそうだったから、そこは男同士、同情する。

「あなたたちも道に迷ってるんですよね?」
 再度、聞くと、瑛斗は道端にすわって、ガックリと頭をかかえた。迷っていることにもだが、青蘭の性別を知ったショックも大きかったに違いない。
「もう三時間くらい、この道をぐるくるしてるんだ。おかしいだろ? 二又の道を逆に行っても、けっきょく、ここに戻ってくる!」
「この道を……ですか」

 龍郎たちがこの小径に出たのは、ついさっきだ。それまでは山中の道なき道をさまよっていた。道に出ただけでも進歩だと思っていたのだが、どうやら、そうではなかったらしい。

「一周するのに、どれくらい時間がかかりますか?」
「え? さあ。注意してなかったけど、えーと……たぶん、三十分くらい?」

 龍郎は考えた。
 瑛斗たちは霊的なものが見えない一般人だ。霊的なものが見える龍郎なら、正しい道しるべのようなものが見えるのではないかと。

「ザッとでいいんで、道筋を教えてください。おれ、行って確認してくるから」
 龍郎が言いだすと、青蘭が龍郎の服をにぎってくる。
「龍郎さん。僕、歩けない」
「うん。おれが見てくるあいだ、ここで休んでればいいよ」
「でも……」
「ちゃんと戻ってくるから」

 青蘭は行ってほしくないようだった。
 うるんだ瞳で龍郎を見つめる。瞳の奥にミラーボールでも入っているかのようにキラキラしている。

(これは! 俗に言う“捨てられた子犬の目”! なんて超絶プリティーなんだ!)

 なんだか鼻血が出そうだ。
 龍郎はあわてて少し上をむいて、鼻を押さえる。大丈夫。鼻血は出てないと、確認してから手を離した。

「問題ないよ。おまえに何かあったら、一瞬で戻ってくるから」
「ほんとに?」
「うん。約束する」
「じゃあ、ほんとに一瞬でワープしてきてね?」
「うん」

 青蘭のためなら瞬間移動もできそうな気がしてくるから不思議だ。

 龍郎は腰かけがわりになる岩を見つけると、ニットをぬいで、そこに敷いた。青蘭のための即席チェアを作ってやる。
「ほら。ここにすわって」
「うん」

 龍郎たちのようすを、ニヤニヤ笑いながら、瑛斗が見ている。いやな感じがしたが、いたしかたない。
 瑛斗は丁寧に道筋を教えてくれた。龍郎が青蘭のそばを離れることが嬉しいのかもしれない。そう思うと、少し不安も残る。が、青蘭はこう見えて、体内に魔王を二柱も宿しているのだ。ほんとに追いつめられたときには、それを呼びだせばいい。

 青蘭の身に危険はないと判断して、龍郎は一人でその場を発った。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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