ラビリンス その七

文字数 2,471文字



 魔王はアンドロマリウスと名乗った。
 青蘭の純潔を奪い、そのまま、青蘭の体内(なか)に居座った。

 しかし、アンドロマリウスの魔法は、青蘭を劇的に変えた。

 翌朝には、青蘭は以前の美貌をとりもどしていた。体の傷跡も三割がたは治った。昨夜の快楽のなかで、青蘭がアンドロマリウスに与えた部分だ。
 醜い芋虫だった青蘭は、美しい蝶へと羽化した。

「僕に何をしたの?」
「おまえのなかに、快楽の玉を埋めた。その玉がおまえに力をくれる。玉に力が満ちているときは、おまえは今の姿を保てる」
「もっと綺麗にはできないの?」
「いいぜ。今すぐ、すっかり綺麗にしてやっても。そのかわり、おまえはおまえの体を失うがな。綺麗な部分は、おれが貰った部位だ。よく考えて使えよ?」
「ふうん」

 青蘭はあまり真剣には考えていなかった。なにしろ、いつでも死んでいいつもりだ。この世に未練なんてない。自分の身がどうなろうと問題はなかった。

 医者たちは大騒ぎしていたが。
 治るはずのない傷痕が一夜にして、もとどおりに再生されたのだ。青蘭の場合、正常な皮膚がほとんどなかったから、皮膚移植ですら難しかったのに、きれいにケロイドが消えて、絹のようにすべらかな肌に戻っている。溶けくずれた形状の歪みもなくなった。医学的には説明不可能な事象だった。

 そして、傷痕のない青蘭は絶世の美貌だ。十二歳。かぼそい手足の優美な美少年だ。

 今度はほんとうに、みんなからチヤホヤされた。
 でも、もう青蘭は知っていた。人間は必ず裏切るということを。表ではいい顔をしていても、裏では悪口をささやいていることを。建前と本心は異質なほど、かけ離れているのだということを。金がかかわれば、みんな滑稽なほど本心をさらけだす。

 青蘭はこれ以上ないほど気分屋でワガママになった。気に入らない人物はかんたんにクビにした。人をからかって楽しんだり、金をちらつかせて破滅に追いこんだ。
 もちろん、山藤や荻野目は即刻、解雇した。日下部のことは、さんざん、いびって、青蘭を見下したことを後悔させるために、わざと残した。汚い仕事や重労働ばかりをさせた。

 それでも、青蘭の心は晴れなかった。青蘭には誰にも言えない秘密があった。

 アンドロマリウスの言葉の意味を真に理解するのに、さほど時間はかからなかった。アンドロマリウスは魔王だが、何かしらの事情で完全体ではないらしい。最初の夜、青蘭に与えた力は半月ともたなかった。

 快楽の玉の力が切れたとき、青蘭は傷痕だらけの崩れた体に逆戻りしていた。一度とりもどしたものをふたたび消失するのは、ただ失うより遥かにツライ。

「助けてくれるんじゃなかったの? 僕もう芋虫と陰口たたかれるのはイヤだよ」
「かんたんなことだ。快楽の玉に力を注げばいい」
「どうするの?」
「方法は三つ。一つ、人間と寝る。二つ、悪魔と寝る。三つ、悪魔を退治する。一番、長持ちするのは三番だな」
「わかった」

 悪魔と契約するというのは、こういうことなのだ。終わりのない苦悩と対価という名の喪失。得るものは消耗品なのに、与えるものは恒久的に己を削っていく。自分自身の体を切り刻んで差しだしているのと同じだ。
 肉体の一部を譲って、アンドロマリウスに抱かれるか、そうでないなら、アンドロマリウス以外の悪魔に。
 ほんとは嫌なのに。
 青蘭は子どもだから、それがとても穢らわしく思えた。自分がそれに染まっていくのが、おぞましくてならなかった。

 だが、じっさいには、ほとんど毎晩、何者かとそうしていた。
 悪魔の相手にはことかかなかった。
 いつも、どこからか、青蘭の匂いをかぎつけて、やってくる。
 ことに山羊の頭と足を持つ悪魔は、夜になると必ず青蘭の病室に現れた。逞しい山羊の男に、夜ごと(さいな)まれる。

 青蘭の心は壊れそう。
 悪魔に身をゆだねて歓喜する自分が怖い。でも、やめることはできない。それをしないと、自分はまた醜い芋虫に戻ってしまう。

 身も心もボロボロだ。
 急に幼い子どものようにふるまったり、何もない壁にむかって、一人で何時間もブツブツ言っていたりする。

 青蘭の変調は医者たちも気づいていた。カウンセリングをしたのも、そのころだ。青蘭は解離性同一性障害と診断された。

 医者たちは柿谷を始め、青蘭を不気味がっていた。治るはずのない傷痕が治ったり、また現れたり、ありえないことばかり起こる青蘭を、腫れもののようにあつかった。

 そのなかで、たった一人、最上だけが変わらず優しかった。青蘭が醜い芋虫だったころから、態度がまったく変わらないのは、最上だけだ。

「青蘭。元気を出して。あれだけツライめにあったんだ。病気になるのは、しかたないよ」
「そうかな」
「きっとよくなるよ」
「うん」

 信頼していた。
 最上だけは裏切らないだろうと思っていた。まったく愚かにも。経験が活かされていない。人は裏切るものなのに。

 最上と恋人になったのは、青蘭が十四歳のときだ。成り行きはもう忘れた。初めての人間の男。愛されていると思いこんでいた。
 最上は口癖のように「青蘭が好きだ」「愛してる」と言った。
 ほかの誰に蔑まれてもいい。罵られてもいい。裏切られてもいい。最上さえいれば、ほかには何もいらない。
 青蘭は最上の“愛”に依存した。彼は青蘭の機嫌をとるのが抜群にうまかった。青蘭は最上が望むままに、彼の給料をつりあげた。所内の立場も昇級した。

「青蘭。困ったよ。田舎の親が病気になったんだ。手術しないといけない。しばらく帰って看病するよ」

 そう言われれば、

「待って。人を雇えばいいんでしょ? いくらあればいいの? 二千万なら足りる? 三千万?」
「お金の問題じゃないんだ。生きてるうちに顔を見たくて」
「嫌だよ。僕を置いていくの? ほんとは僕のこと好きじゃないんだね?」
「違う。君のことは大好きだよ」
「じゃあ、五千万あげるから、そばにいてくれる?」
「わかったよ。しかたないな」

 けっきょくは最上も金が目当てだと気づいてなかった。いや、気づきたくなかったのかもしれない。

 そんなころ、あのことが起こった。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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