デビルズボックス その一

文字数 2,766文字




「あんたたち、困ったことしてくれたね。襖の改装には百万もかかったんだよ?」

 座敷わらしの出る宿で迎えた朝。
 宿の主人の錦戸さんは、さすがに仏頂面で、龍郎の壊した最新ドアロック付きの襖をながめた。

「すいません。ほんとうにすいません」
 平謝りする龍郎に反して、青蘭は不遜(ふそん)な態度をくずさない。
「そんなの弁償すればいいんだろ? これで、どう?」
 と言って、ポケットから財布をとりだしたが、そこに現金は残っていなかった。なぜなら昨夜、この宿に泊まるために、先約の客を買収したからだ。有り金を全部、使ってしまっていたのである。

 青蘭は白けた目を一瞬、それに向けたあと、財布をしまった。そして反対側のポケットから、今度は細長い手帳のようなものをとりだす。
 龍郎も現物を初めて見た。小切手帳だ。ほんとに、そんなものが、この世に存在するのか。それはどこか別世界にしか存在しないものだと、たった今まで思っていた。

「いくら欲しいの? 百万? 二百万? 三百万? あっ、そうそう。人形も壊したから、五百万でいい?」
 なにやら低姿勢で錦戸さんは頭をさげる。呆然としているのかもしれない。
「……はい。かまいません」

 青蘭はスーツの胸ポケットから万年筆をとりだし、キャップを口に挟んで外すと、サラサラと小切手に金額を入れた。

「これでいいでしょ? じゃ、帰るよ」
「お待ちください! これ、本物なんでしょうね? ほんとにお金になるんでしょうね? 詐欺じゃありませんよね?」

 錦戸さんはあわてふためいている。
 まあ、疑いたくなる気持ちはわかる。
 青蘭は愚民光線を錦戸さんに浴びせたのち、こう告げた。
「じゃあ、今から銀行に行こう。おまえがそれを換金するまで、そばにいてやる」
「……ありがとうございます」
 錦戸さんは大人だなぁと、その会話を聞いて龍郎は思った。

 というわけで、大手銀行の第一支店のある市まで、龍郎たちは行かなければならなくなった。

「あの、襖と人形が壊れたことは、わたしのせいでもありますし、わたしもいくらか出したほうがいいですか?」と、清美が言ったが、青蘭にとって五百万は端金だ。一般人の一日ぶんのオヤツ代みたいなもんである。ローソンでロールケーキを一個買って友達にあげたら「折半しようか?」と聞かれたに等しい。
「けっこう」と、一蹴(いっしゅう)する。

「えっ? でも、五百万ですよ?」
「だから?」
「えっ……わたしの良心が痛むというか」
「おまえ、地元の人間だよな?」
「地元……まあ、近くっちゃ近くですね。県内なので」
「じゃあ、美味しい店とか知ってるんだろ? 昼食おごってよ。レトロな感じの洋食屋がいい」
「わかりました!」

 朝食はとりあえず用意してもらったので、チェックアウトをすますと、龍郎たちは錦戸さんの車に先導されて、ふもとの市へ移動した。
 錦戸さんはだいぶ疑っていたようだが、小切手は問題なく換金された。
 ついでに青蘭はキャーケースいっぱいの現金をひきおろした。かつて見たことのない札束を見て、龍郎はめまいをおぼえる。

「それ、いくら入ってるの?」
「五千万。これだけしか現金の用意ができないって言われた」
「あっ、そう」

 龍郎は五千万を持ち歩いてると思うと気が気じゃないが、青蘭はなれたものだ。見たところ、身なりのいい旅行者が着替えの入ったキャリーケースを引いて歩いているようにしか見えない。

「ひさしぶりの街なかですね。もう山のなかには、ウンザリ。今日はここで泊まろうよ」と、青蘭は機嫌がいい。
「わかった。ホテル、探すよ」
 龍郎は近場の一流ホテルを検索し、電話をかけまくる。
 そのあいだ、あせったようすで清美もネットを調べていた。青蘭を満足させる洋食屋を探すのに必死らしい。

「青蘭。駅前のロイヤルホテルがとれた。とにかく、そこの金庫にそのキャリーケースを預かってもらおう」
「うん。まあ、重いですからね」
「いや、重さの問題じゃないけどな。おれが持つよ。手がふるえるけど」

 銀行を出たところで錦戸さんとは別れ、軽自動車に乗りこむと、ロイヤルホテルに直行する。
 ホテルは落ちついたふんいきの背の高いビルだった。おどろいたことに、フロントへ行くと、ホテルの従業員がみんな青蘭を見て、深々と会釈する。キャリーケースを預けたときも、フロント係は問いただすこともなく恭しく受けとった。

「こちらが部屋の鍵になります」

 電話ではシングルルームしかあいてないというから、そっちを予約したのに、渡されたのは最上階のスイートルームの鍵だった。

「なんで? みんな、青蘭を知ってるみたいだけど」
「そりゃ、年中、あちこちのホテルを渡り歩いてるからね。たいていのとこは顔パスだよ」
「なんだ。じゃあ、アポなし訪問でよかったんだ」

 荷物を部屋まで運ぶためにエレベーターに乗りこんだ。まわりに、いやに人が多いなとは思った。
 昼間の三時にホテルのエレベーターが満杯というのは普通ではない。通常なら昨日の客はチェックアウト済みで、今日の客はチェックイン前。ホテルとしては一番すいている時間帯ではないだろうか?
 大きなホテルだから、どこかで結婚式の披露宴でも行われているのだろうか?

 重量オーバーのブザーが鳴るんじゃないかと思ったが、やがてドアが閉まり、エレベーターは上昇する。

「なんで清美までついてきたの?」
「えっ? だって、スイートルームってどんなとこか、見てみたいじゃないですか。今晩、どんな豪華な部屋で、お二人がエッチするのかなぁって」
「昨日は誰のせいでできなかったんだっけ?」
「あれ? わたし、おジャマしました?」
 なんて青蘭と清美の会話を聞きながらも、龍郎はソワソワと落ちつかない。というか、人前で変な話をしないでほしい。

 すると、とつぜん、エレベーターがガクンと止まった。階についたわけではない。同時に箱のなかが真っ暗になる。停電だ。何も見えない。

 しかし、ものの十秒ほどもすると、明るくなった。二階と三階のあいだくらいだったが、箱も動きだす。非常電力に切りかえられたのか、停電じたいが一時的なものだったのかまではわからない。

「降りよう。停電なら、また止まるかもしれない——すいませんが三階押してもらえますか?」

 出入口付近の男に声をかけるが、一瞬遅く、三階を通りすぎてしまった。
「すいません。じゃあ、四階で」
 男はチラリと龍郎たちを見て、四階のボタンを押す。
 なんだか異様な風態の男だ。エレベーターのなかが暗いせいかもしれないが、顔立ちがハッキリ見えない。全体が黒く、目だけが異様に白い。

 龍郎はゾクッとした。
 イヤな感じがする。

 ——と、また、ガクンとエレベーターが階と階の途中で停止した。暗闇が周囲を包む。

 今回も数瞬で照明が点灯した。が、龍郎は気がついた。あきらかに、乗客の数が少ないことに。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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