デビルズボックス その三

文字数 2,660文字



 ふと、龍郎は気がついた。
 あまりにも恐怖でゆがんでいるので、さっきはわからなかったが、腰をぬかしている三十代の男。どこかで見たことがある。
 そうだ。銀行だ。この男、青蘭が大金をおろすとき、銀行にいた男だ。現金の入ったキャリーケースをゴロゴロころがして銀行を出ていくところで、ちょうどATMコーナーから出てきた、この男と出会った。まさか、龍郎たちのあとをつけてきたのだろうか?

「あんた、あのとき、おれたちの会話を聞いてたんだな? キャリケースのなかに金が入ってるって。ひったくりでもするつもりで、ついてきたんだな?」

 龍郎がつめよると、男はあとずさった。しきりに首をふっているが、急速に蒼白になるところが怪しい。

「違わないだろ? じゃあ聞くけど、あんた、どの階で降りるつもりだったんだ? おれたちのあとから乗りこんだとき、停止ボタンに手の届く位置じゃないのに、あんたは何も言わなかった。おれたちは最上階だから、みんなが降りて、人数が減ったときに押そうと考えてたんだ。でも、あんたは最上階のスイートルームに宿泊する客のようには見えないんだけどな」

 そのとき、エレベーターが、これで何度めか、またもや止まった。ガクンと大きく揺れる。位置で言えば七階の上あたり。
 真っ暗ななかで、あのブツブツと酵母でも発酵しているかのような音とも声ともつかないものが、不気味に響く。


 テケテケテケテケテケリリ、テケリリ、テケリリ……テケ……。


「たしか、悪魔には強欲っていうのもいたはずだ。あんた、それなんじゃないのか?」
「な、何を言って……悪魔? あれ、なんなんだ? さっきから、なんで人が消えてくんだ? この箱、どうなってるんだ!」
 怪しいと思うのだが、男はうろたえるばかりだ。

 ようやく、龍郎の腕のなかで、青蘭が意識をとりもどした。
「違うよ。龍郎さん……」
「え?」

 照明がつき、エレベーターが動きだす。八階の表示を通りすぎていく。
 明るくなったとき、あの五十代の男も消えていた。龍郎たち三人以外で残っているのは、もうこの三十代の男しかいない。

「絶対、こいつだろ? だって、こいつしか、おれたち以外にいないよ」
「そう? ほんとに?」
「だって、おれと青蘭は違うし」
「そうだね」
「じゃあ、やっぱり、こいつだ」
「なんで? もう一人、いるじゃない?」

 龍郎はやっと青蘭の言わんとする意味を解した。
「もう一人って、まさか……」

 龍郎でなく、青蘭でなく、この男でもないなら、あとは一人しかいない。この場にいるもう一人の人物。それは、清美だ。

「ええーッ! わたしですかぁー?」
 清美はおもしろいほどあわてふためき、とびすさって壁に両手をついた。
「わたし、悪魔とかなんとかじゃないですよ? テケテケ言ったりブツブツ発酵したりしませんよ!」

 青蘭はバカにした目つきで清美を見くだす。
「わかってるよ。おまえはすごく珍しいけど、心に悪魔を飼っていない稀有な人間だ。龍郎さんと同じ。でも、引き算の結果、犯人はおまえしかいない。清美、おまえ、誰かから貰った形見の品を持ってないか?」
「形見? 持ってますよ? 叔父さんが亡くなる前にくれたんです」

 そう言って、清美はカバンのなかから小さな箱をとりだした。五センチ角の小さな寄木細工だ。

「可愛いから、ピルケースにしてるんです。サプリメントが入ってますよ」
 言いながら、清美は小箱をふった。
 すると、急にエレベーターがグラグラと大きく揺れた。
 キャアと叫び声をあげる清美の手から小箱が落ち、床の上で止まった。すると、エレベーターの揺れもおさまる。

「な……なんですか? 今の?」
「やっぱり、そうだ。ここは、その箱のなかなんだ」と、青蘭の言う意味を、清美は理解していない顔つきだ。
 しかし、何度か青蘭といっしょに悪魔を退治した龍郎にはわかった。

「そういうことか! エレベーターに乗りこんだ瞬間、おれたちは悪魔の結界のなかに入ってしまったんだ。その結界が、清美さんの持ってる小箱と通じている」
「そう。つまり、悪魔はその箱のなかにいる」

 まるで、謎を解かれたことで、かかっていた魔法も同時に解けたかのようだった。寄木細工の板が自動的にスッスッとズレて、カチリと箱がひらいた。

 なかから、なんとも言えず醜悪なものが、ドロリと這いだしてくる。
 それはドロドロに腐って溶けた緑色の肉に、目玉や牙が無数に生えたようなものだった。ズルズルと形を変えながら、ときには人型のようにも見える流動体だ。ダラリと長い糸を引きつつ、大きく口をひらいた。口というか、口のような裂けめだ。無数の牙で、腰をぬかしたままの男に襲いかかろうとする。

「うわああああーッ! 来るなぁーッ!」
 男は失禁して床をぬらした。
 このままでは男が喰われる。強盗まがいの男だが、だからと言って見殺しにはできない。

 龍郎が右手を伸ばそうとした瞬間——

「待って。龍郎さん。清美に聞きたい。その箱、叔父さんに貰ったと言ったね? 叔父の名前は?」
「叔父は母方の旧姓を名乗ってました。おばあちゃんは父が小さいときに、叔父をつれて家を出ていったんだそうです。だから、叔父の名前は八重咲。八重咲星流」
「なんてことだ。じゃあ、おまえは僕の従姉妹なのか」
「ええッ? そうなんですか?」

 ずいぶんタイプは異なるが、二人ともマイペースなところは似ていなくもない。

「青蘭。そんなことより、あの男の人が喰われてしまう」
 龍郎が声をかけると、青蘭はうなずいた。
「ショゴス。新たに命ずる。箱に戻り、待機せよ」

 青蘭が声をかけると、ドロドロした生き物は名残惜しそうな目を男にむけて、ズルズルと小箱に戻っていった。

「どういうことだ?」
「ショゴスは古きものたちが召し使う奴隷(どれい)のようなものだ。あるじを欲しがる特性がある。きっと父が封じて使役していたんだろう」
「でも、それがなんで急に暴れだしたんだ?」
「おそらく、先日、父の力が君に継承されたから、あるじが不在になっていたんだ。清美は邪気のない魂の持ちぬしだから攻撃されなかったが、この男の悪意を感じとって捕食しに出てきたんだろう」
「じゃあ、今のあるじは?」
「僕の命令に従ったから、僕かな?」

 青蘭が寄木細工をひろう。
 エレベーターはもう揺れなかった。

(それにしても、アンドロマリウスが言ってた、ナイアルなんとか? あれって、あの手袋の男のことだったんじゃ?)

 アンドロマリウスは何かを知っているふうだった。

 やがて、エレベーターは最上階に到着し、ドアがひらいた。



 了
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み