空家の怪 その五

文字数 2,128文字



 そのときだ。

「龍郎さん。す、すいません。あのぉ……」

 清美の声がして、龍郎の肩をそっとゆさぶる。緊縛がとけた。
 ハッとして、龍郎は目をあけた。清美が覗きこんでいる。

「す、すいません。トイレ、いっしょに行ってください」

 四囲を見まわすが、清美以外には誰もいない。怪異も感じられない。

(夢……?)

 夢にしては生々しかった。だが現に異変はない。不思議に思いつつも寝袋のジッパーをさげて起きあがった。
 懐中電灯を片手に廊下へと出る。
 トイレに行くには一回、外へ出なければならない。

 廊下をまっすぐ歩いていくと、土間の台所があり、勝手口が真正面に見えていた。

「あっ。靴、玄関から持ってこないとね。待ってて。清美さんのも持ってくるよ」
「あ、ありがとうございます……でも、早めにお願いします。怖いです」

 玄関へひきかえし、二人の靴を手に戻っていく。懐中電灯を清美に預けたので、手さぐりだ。

 廊下の途中で、急に懐中電灯の明かりが見えなくなった。清美が物陰に移動でもしたのだろうか?

「おーい、清美さん? 暗くて見えないんだけど、光をこっちに向けてくれないかな?」

 返事がない。
 かわりに、どこからか妙な音が聞こえる。

 カタタタタタ……カタカタ、カタ……。

 龍郎は音のするほうをながめた。
 あの書斎の方角か?
 暗闇をじっと見透かすと、廊下の端から何かが転がってきた。ころころころ。ボール——いや、手毬(てまり)だろうか?

 てん、てん、てんと、わずかにバウンドしながら、それは龍郎の足元で止まった。よく見ようと覗きこんだ龍郎は、「わッ」と声をあげて立ちすくんだ。

 それは、人間の頭だった。
 月代(さかやき)をそった、ざんばら髪の男の生首。緑色の皮膚の、ドロンと白く眼球のにごった、死人の頭だ。

 龍郎が硬直していると、台所から清美がやってきた。
「どうかしましたか?」
「いや、あの……ちょっと、懐中電灯をあそこに向けてくれないかな?」
「こっちですか?」

 清美が光をさしつけたときには、すでに生首は消えていた。

「何かあったんですか?」と言うので、いたずらに怖がらせることもあるまいと、首をふる。

 そのあと二人で庭に出た。
 裏のトイレは思ったとおり、水洗ではなかった。今どき、くみとり式だ。長いこと使ってないようで、暗い穴のなかはカラになっている。

「ああ、これ、使うとたまるのか。近所から匂いのことで文句言われても困るなぁ。清美さんが、さっき言ってたようにしたほうがいいか」
「えっ? さっきって?」
「寝る前に」
「なんて言ってましたか?」
「えっと……」

 寝る前と言ったって、ほんの一時間か二時間前のことだ。たっぷり一晩、寝たわけじゃない。
 清美はもう忘れてしまったのだろうか?

「いや、その……」
「じゃあ、ここで待っててください」

 こう言ってはなんだが、日本昔話に出てきそうな古い木造の(かわや)は、男の龍郎が見ても、用を足すどころか失禁してしまいそうな迫力がある。とにかく真っ暗だし、殺人事件の現場かと思うような凄みだ。

 にもかかわらず、清美は平気な顔で、そのくずれかけた小屋のなかへ入っていった。これなら、龍郎がついてくる必要はなかったんじゃないだろうか?
 申しわけないが、龍郎は庭木のあいだで立ちションした。

 裏庭は裏手の山と一体化した林だ。熊はともかく、猿や狸くらいなら迷いこんでくるだろう。

 どこからか、ヒイイッ、ヒイイッと女の泣き声のようなものが聞こえてくる。風の音だろうか? 三月とは言え、まだ風は強い。

 清美さん、遅いなぁと思いながら待っていると、母屋のあたりが、ぼうっと光った。丸い青白い光が等間隔にならんでいる。光は壁や柱など建物の影に黒くさえぎられている。どうやら、屋敷の表側が光っているようだ。

「清美さん。まだかな?」

 声をかけるが返事がない。

「清美さん? なかで倒れてないよね? 返事してくれないかな?」

 返事がない場合、安否を確認してみたほうがいいかもしれないと思っていると、とつぜん、背後でカサリと音がした。ふりかえると、清美が立っていた。

「わッ。ビックリした」

 よそみしてるうちに出ていたようだ。

「なんだ。言ってくれたらよかったのに。清美さん、あの光、何かな? ちょっと玄関のほうにまわってみてもいい?」

 清美がうなずくので、庭を通って表口へまわっていく。玄関横の広間の縁側あたりが光っている。まるで青白い提灯を等間隔に置いたように、いくつもの光がならんでいる。

 さっきの手毬のことがある。そこに何があるのか、なんとなく予想はついた。
 近づいてみると、やはりだ。縁側に生首がならんでいる。無念の表情で斬首された首である。

(くそッ。悪魔の仕業だな。おれたちを怖がらせて家から追いだしたいのか?)

 しかし、反撃したくても本体がわからないと手の打ちようがない。試しに右手を生首にかかげると、熱で溶けたボールのように歪んで消えた。

 広間に何かあるのだろうか?
 龍郎は靴をぬいで縁側から家のなかに入った。

「清美さん。懐中電灯を貸して」

 手を伸ばしたが、清美は無表情なまま立ちつくしている。なんだか、ようすがおかしい。

「清美さん?」

 妙な三白眼で龍郎をにらんでいた清美が、とつじょ襲いかかってきた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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