妖怪二口女 その三

文字数 1,725文字

「兄さん。何してんだ?」
「睡眠薬。寝てしまったら、調べられるだろ」

 まさか、義理とは言え、姉の秘密の場所を弟に見ろというのか。

「兄さん。それは……」
「信じてないんだろ? 見ればわかるから」

 気は進まないが、兄を納得させるには、それしかないのかもしれない。どうせ、人間のあんなところに歯が生えているわけないのだし、兄を病院につれていくためには必要な通過儀礼だと、龍郎はわりきることにした。

「わかった。じゃあ、なんにもなかったら、兄さん、病院に行ってくれよ。おれが『ない』と言ったら、兄さんもおれの言葉を信じてくれ」

「……ああ」

 そういう運びになった。

 座敷にもどってきた義姉は疑いもせず、睡眠薬入りのビールを飲みほした。

 宴もたけなわとなり、やがて薬の効いた義姉はその場で酔いつぶれ、眠ってしまった。都合のいいことに、青蘭も畳によこたわり、寝入っている。

 いいか、やるぞと、兄が目で訴えかける。
 いまだに乗り気ではないが、ここまで来たら、しかたない。龍郎は覚悟をきめた。

 兄が兄嫁のスカートをめくりあげ、下着をおろす。

 結果から言えば、龍郎は目を疑うことになった。兄嫁に申しわけないとか、そんなことを言ってる場合じゃなかった。常識では考えられないものを見て、龍郎はぼうぜんと、それに見入った。

「な……なんだ、これ」
「だろ? だから言ったろ? ほんとにあるんだよ。歯が」

 たしかに兄の言うとおりだ。
 義姉のそこには歯が生えている。
 乳歯のような小さな白い歯が、ぐるっと輪をかこっていた。

「き……奇形? そうだ。きっと、特殊な病気なんだよ。目から水晶の涙が出てくる女の子とかテレビで見たことある。皮膚の一部かなんかが角質化してるのかも」
「奇形……そうか。そうかもな」

 兄はむしろ、龍郎の出した答えに安堵したようだった。ほっと息をついている。しかし、そのとき、青蘭が起きあがってきた。

「奇形じゃありません。この女は悪魔です」

 どうやら、狸寝入りだったらしい。
 また、ややこしいことを言いだした。これ以上、話をかきまわさないでほしいと、龍郎は願った。

「悪魔?」と、たずねる兄に、青蘭は端的に言いはなった。
「そう。悪魔。僕がここに来たのは、こいつの……悪魔の匂いに気づいたからです」

「悪魔に匂いがあるのか?」
「匂いというか、気配というかね。僕はそういうのに敏感なんだ」

 そう言って、青蘭は目をふせた。
 宇宙の闇を飲みこんだように神秘的な瞳に、物悲しげな色がくるめく。

 この人は胸の奥底に、誰にも言えない深い苦しみをかかえているのではないかと思う。

 龍郎が見つめていると、視線に気づいたのか、青蘭は目線をあげ、つんとすまし顔を作った。どんな表情もお人形のようだ。それも、とびきり耽美で高価なビスクドール。

「君たちは七つの大罪という言葉を知っているか?」
 反問してくるので、龍郎は考えた。
「聖書に書かれてる人間の基本的な罪、みたいなものだったかな?」

「じっさいに聖書のなかでは、それについて言及されてはいない。七つの大罪のもとになったのは、四世紀にエジプトの修道士エヴァグリオスの唱えた『人間一般の八つの想念』だ。貪食、淫蕩、強欲、悲嘆、怒り、怠惰、自惚れ、傲慢の八つの感情。これらは人間を悪の道に走らせる。つまり、悪徳、悪の権化。過度に溺れれば、悪魔を呼びよせる。悪魔を具現化させる邪念にほかならない」

 龍郎は思いだした。
 電車のなかで見た異様な一幕を。
 あのとき、青蘭はスーツケースの男を“貪食”だと言った。

「悪魔って、まさか、人間の邪念が形をとったものなのか?」
「悪魔は現実に存在する。邪念はそれらを呼びよせるトリガーでしかない」

 これがもし昨日の夜なら、龍郎は青蘭の話を信じなかっただろう。誇大妄想狂の空想だとしか思わなかった。

 しかし、アレを見てしまった。
 人間を次々、飲みこんで食べてしまうスーツケースを。
 そして、ありえない場所に歯の生えた兄嫁を。

「この女は中位の淫蕩だ」と、青蘭は桜色の爪のさきを、兄嫁にむける。
「退治したほうがいい。今なら意識を失っている。ふつうの人間のおまえたちにでも倒せるだろう」

「退治って、何するんだ?」
「もちろん、殺すんだ」
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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