空家の怪 その四

文字数 2,137文字



 (ほこり)をかぶった床の間。
 掛軸は色あせた山水画が飾られ、下に香炉が置かれていた。茶室のような丸い窓の近くには、竹の花入れがかけられている。が、そこに活けられた花はない。長いこと放置されているのだと、ひとめでわかる。

 その床の間に、目を疑うものがあった。
 髪の毛だ。それも、遺髪のように(もとどり)でしばった髪の束。
 ギョッとするには充分な代物だ。

「うわっ。なんだ、これ。まさか、前の住人が置いていったのかな?」

 龍郎は床の間に近づいて、それを観察した。何年前からこの家が無住になったのかわからないが、髪の毛はたった今、切りおとしたばかりのように瑞々(みずみず)しい。

 その髪を手にとってみようとしたとき、急に背中がザワザワした。髪の毛の十センチ前で手が止まる。
 ブツ、ブツ、ブツ——と、指で障子に穴をあけるように、空間をやぶって邪気がしみだしてくるようだ。

 イヤな予感がして、龍郎は手をひっこめた。すると、髪の毛の束は、すっと消えた。目の錯覚だったのかと疑うほどに、あとかたもない。

「清美さん。今の、見たよね?」
「み……見ました」

 では、龍郎だけに見えた幻ではない。
 やはり、何かいる。

 室内を調べてみたが、ほかに怪しいものはなかった。
 廊下に出ると、暗闇のさきに、ふっと何かがよぎっていったように見えた。

 龍郎はあわてて、あとを追う。

「ああっ、待ってくださいよぉ」
 清美が背中にぶつかってきた。
 しょうがないので、龍郎は手を伸ばす。
「はい。手」
「……青蘭さんに悪いと思いつつも、遠慮なくつながせてもらいます! 怖いです!」

 手間どってしまったせいか、廊下のつきあたりに来たときには、もう何も見あたらなかった。
 ただ、そこにある襖をあけると、なかは板の間で、古い西洋机や椅子がある。壁には書棚が並んでいる。書斎だ。明治時代の文豪の部屋のようである。

「何もないな」
「ないですね」
「しょうがない。もとの部屋に帰って、もう寝ようか」

 探検のおかげで十時をすぎていた。
 まだまだ眠いとは言えないが、さっきよりはマシだ。ムリすれば寝られそうな気がしなくもない。

 もとの八畳間に戻って、それぞれの寝袋にもぐりこむ。

「じゃあ、ランプはつけっぱなしにしとくから。おやすみ。清美さん」
「夜中にトイレ行きたくなったら起こしますからねぇ」
「うん。そうだね。ここのトイレ、くみとりじゃないよなぁ? あっ、でも水洗だったら、むしろ流れないか。水道止まってる」
「に……庭でしますか?」
「清美さん。それ、女の人が言いだすことじゃない」

 清美と話していると、なんだか、たいていのことは深刻な問題じゃないような気がしてくる。清美と人生を送るパートナーは、さぞや楽しい毎日を送ることだろう。そういう意味では、とても稀有な存在だ。尊敬に値する。

「清美さんと話してると飽きないなぁ」

 くすくす笑っていると、清美が急に真剣な声音で言う。

「龍郎さん。さっきは言えなかったんですが、おばあちゃんがムチャなこと言って、すいません。なんか、お二人に迷惑かけてるなぁって思ってはいるんですよ。わたしだけ、なんの力もないし。もしものときには、わたしのことはポイッとほっといてくださればいいので、思う存分、青蘭さんを助けに行ってください」

 そう言われると、かえって申しわけない。青蘭はもちろん救いたいし、清美のこともできるかぎり助けたい。でも、現に龍郎の体は一つしかなく、どちらか一人を選ばなければならないときが、いつか来ないとはかぎらないのだ。

「……ごめん。清美さん。おれ——」

 清美はあわてたようだ。
「いいんですよ。好きな人を助けたいのは、あたりまえのことですから。ほんと、遠慮しないでくださいね。龍郎さんは、いい人で、すごく優しいから、気をつけないと女の人に勘違いされちゃいますよ?」

 ほんとに優しかったら、どちらかを見捨てるような選択はしないんじゃないだろうかと疑問に思う。
 どちらも助けられるほど、龍郎が強くなればいいのだ。でも、その自信がない。

「……おやすみ」

 声をかけて、目をとじた。
 将来のことを考えているうちに、いつしか眠っていた。

 どこからか音がする。
 カタカタ。カタカタと。

(なんだろう? あの音。寝られないじゃないか……)

 浅い眠りのなかで寝ぼけたことを考えている。しだいに音は大きくなる。

 カタカタカタ。カタッ、カタカタ——

(もう、なんなんだ!)

 龍郎は起きあがろうとして、ハッとした。体が動かない。意識は覚醒しているのに、体が鉄塊に変わってしまったかのように重い。金縛りだ。目をあけようとするが、まぶたもあがらない。

 どうにか呪縛をふりきろうと、龍郎があがいていると、とつぜん誰かに髪をつかまれた。それも両手でだ。最近、忙しくて、なかなか髪を切りに行けなかったから襟足が伸びてしまっていた。にぎりしめるだけの長さはある。

 まさか、清美がつかんでいるのだろうか?

 見てみたいが、あいかわらず目もあけられないし、首も動かせない。

 すると、何者かが髪を持ちあげて、龍郎の体をふりまわしだした。右、左、右、左——左右に激しく揺さぶられて、龍郎の体が宙に浮く。髪がひきちぎれそうだ。説明のつかない状況に恐怖をおぼえる。

 龍郎はあせった。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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