ラビリンス その一

文字数 2,573文字



 天使の羽が舞いあがり、悪魔の哄笑(こうしょう)が空間をゆるがす。

 龍郎にはわかった。
 二人の手がかさなった瞬間、これまで経験したことのないほど強大な魔法が発動したと。

 龍郎の力なのか、青蘭の力なのか、あるいは二人のなかにある賢者の石がオートマチックにその力を生んだのか。それは、わからない。
 ただ、一瞬にしてその力が時空をねじまげ、島を包みこんだことが感じとれた。

 爆風のような魔力の暴発。

 その一瞬がすぎたあと、気がつくと、龍郎は一人で立っていた。
 屋敷の玄関ホールだ。
 まだ火事になる前の贅をつくした瀟洒(しょうしゃ)な内装だ。溶けくずれていた螺旋階段も、繊細なループを描いている。

(これは……時間を飛んだ、のか? それとも?)

 とにかく、まわりにいたはずの人たちはどこへ行ったんだろう?
 青蘭は?

(青蘭の誤解をとかないと)

 きっと青蘭は龍郎が心変わりしたと思ったのだ。絶望的な拒絶が瞳のなかに、かいまみえた。
 いったい、どうして、そんなふうに思えるのか。たった一日やそこらで、龍郎の想いが変わるだなんて?

(そんな軽い気持ちで、おまえを好きになったりしないよ。それくらい、わかるだろ?)

 広い屋敷のなかは無人のように静かだ。高い位置にある窓から澄んだ陽光がふりそそいでいる。早朝らしい。外から鳥の鳴き声が聞こえる。

 龍郎はさっきの子ども部屋をめざした。そのとき、前方から女が歩いてきた。地味な黒い服にエプロンをつけて、どこから見ても家政婦だ。むしろ、メイドと言ったほうが、しっくりくる。女は龍郎を見ても何も言わない。いや、もしかしたら、龍郎の姿が見えていないのかもしれない。屋敷のなかを見知らぬ男が歩いているのに、見向きもしないのだ。

 試しに女の前で手をふってみる。が、やはり、まったく反応しない。龍郎の姿が目に入っていないようだ。
 魔法で時間をさかのぼったのなら、今の龍郎は霊的な存在なのかもしれない。一般人には見えないということだ。

(まあ、それはそれで便利だけど)

 屋敷の住人に遭遇するたびに泥棒あつかいされたのでは、めんどうでしかたない。その心配はなさそうなので、安心して奥へ向かっていった。

 青蘭の部屋と思えるドアの前にたどりついた。距離と方向から、このへんだろう。ドアノブに手をかけると、霊的な存在のはずなのに、ドアをあけることができた。法則はわからないものの、人間には見えないが、物理的に影響をおよぼすことができるらしい。

 そっとドアのすきまから室内をのぞく。アメリカ映画で見るような、可愛い子ども部屋だ。青地に白いストライプと星の模様が入った壁紙。白い家具。部屋中にたくさんのぬいぐるみが置かれている。

(青蘭好みの部屋だ。やっぱり、以前の自分の子ども部屋が記憶のどこかに残ってるんだな)

 龍郎が入っていくと、青蘭はベッドのなかで寝息を立てていた。だが、探している青蘭ではなかった。それは、大人になった現在の青蘭ではなく、五歳の子どもの青蘭だ。大きなユニコーンのぬいぐるみを抱えている。

 あどけない顔だ。
 同時に、ビックリするぐらい綺麗な子どもだ。子どものくせに神秘的。妖精の子どもなら、こんなふうなのかもしれない。

(なんて幸せそうな寝顔だ。ずっと、このままなら、よかったのに)

 年齢より少し幼いようにも見えるが、おそらく、これは火事の直前の屋敷だ。青蘭はこのあと、地獄を味わうことになる。今が幸福そうなだけに、見るのがツライ。

 枕元に座り、青蘭の髪をなでる。
 このまま、この時間のなかからつれだしてやりたい。どうにかして、過去を変えることができるのなら。
 もし、その力が龍郎にあるのなら。

 切ない気持ちで見つめていると、青蘭は目をさました。お人形のように可愛らしい大きな瞳で、龍郎を見あげている。

(あれ? 見えてるかな?)

 龍郎の疑問に答えるように、青蘭が口をひらいた。

「お兄ちゃんは誰?」
「やっぱり、見えるんだ」
「ぼくのお友達?」
「いいよ。友達になろう」
「うん」

 なんて、ひとなつっこいのだろう。
 今の青蘭とは大違いだ。
 本来の青蘭は、こんなふうに甘えん坊なのかもしれない。誰のふところにも、ひといきに飛びこんでくる。

「お兄ちゃんのお名前は?」
「龍郎だよ」
「たつろう兄ちゃんだね。ねえ、お兄ちゃん。遊びに行こう」

 青蘭は立ちあがると、パジャマのままベッドからとびおりた。龍郎の手をひいて走りだす。小さな手。この手をにぎったまま、どうにかして現在に戻ることができないだろうか?
 その方法を龍郎は模索する。

 廊下に出ると、さっきの家政婦が青蘭を見て金切り声をあげた。
「坊ちゃん! いけませんよ。ちゃんとお着替えしないと。廊下を走るとおじいさまに叱られます」
「おじいさまはアメリカだよ」
「昨日の夜遅くに、こちらへ来られたんですよ」
「そうなの? じゃあ、いい子にする」
「そうですよ。ほら、着替えましょうね」
「うん」

 青蘭は残念そうに家政婦につれられて、もとの子ども部屋へ戻っていく。龍郎もついていった。でも、あいかわらず家政婦は龍郎に気づいていない。子どもなのにお仕着せではないテーラードの服を着せられて、青蘭はやっと自由になった。

「じゃあ、坊ちゃん。朝ごはんを持ってきますね。待っててくださいね?」
「うん」

 家政婦が出ていくと、また龍郎の手をひいて部屋をぬけだす。なかなか要領がいい。

「お兄ちゃんも、ぼくにしか見えないんだね」
「お兄ちゃんも? おれのほかにも、大人には見えない人がいるの?」
「うん。ぼくのね。お友達。たまにしか来てくれないんだよ」
「そうなんだ」

 青蘭は霊感の鋭い子どもだったようだ。龍郎も幼時にそうだったというから、何か霊的なものが見えているのだろう。

「ねえ、たつろう兄ちゃん。こっち来て」
「どこへ?」
「いいもの見せてあげる。みんなにはナイショだよ?」
「うん。わかった」

 青蘭に手をひかれ、玄関ホールの螺旋階段をあがっていった。
 迷路のような屋敷だが、玄関の周辺だけは、なんとかわかる。

 しばらく進むと、青蘭は見るからに堅固な両扉の前で、あたりを見まわした。

「ここね。おばあさまが眠ってるんだよ」

 龍郎はドキリとした。
 問題の天使が、ここにいるらしい。
 謎の一画にたどりつけるだろうかと、ドキドキが止まらない。

 重い音を立てて、扉がひらいた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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