家守 その九

文字数 2,568文字



「……お父さん? お母さん?」
 両親の姿を前にして、ようやく清美は呆然自失から覚めたようだ。

 しかし、彼女が話しかける両親は、どう見ても生きている人のそれではない。なぜなら、輪郭が白くぼやけ、体が半分、透けている。

「お父さん! お母さん! どうしたの? ねえ、なんで、なんにも言わないの? なんで……なんで体、透けてるのよッ!」

 清美の叫びも届かず、二人の姿は溶けていく。真っ赤に焼けたストーブの上に置かれた雪だるまのように、くずれて見えなくなった。
 ただ、そのおもてには満足げな笑みが浮かび、最後にペコリと龍郎にむかって頭をさげたように見えた。

「お父さん! お母さん!」
 叫び続ける清美に、青蘭が冷静な声をかける。
「帰ろう。清美。君の家に」
「でも……」
「真実が知りたいだろう?」
 青蘭はもう、あるていど事実を察しているようだ。

 急いで車に乗りこみ、山道をとばして清美の実家へ帰った。
 だが、そこにたどりついた龍郎たちは、愕然とすることとなる。
 もともと荒れていた清美の実家だが、今、暗がりのなかで見るそれは、まさしく、あばら家だ。風雨にさらされ、崩壊寸前になっている。あきらかに十年以上、無住のように見える。

「……な、なんですか? これ? お父さんは? お母さんは? どこに行ったんですか? おばあちゃんは?」
 清美は泣き笑いのような表情でこわばっている。

 廃屋の壁に家守が一匹、張りついていた。ちょろちょろと家のなかへ入っていく。
 青蘭が家守を追って、なかへ入るので、龍郎も従った。
「清美さん。行こう」

 入るとすぐに、囲炉裏のある部屋に女が一人、正座していた。年をとってはいるが、綺麗な女だ。涼しげな切れ長の双眸には星流の面影があった。

「おばあちゃん」と、清美がかけよる。
 でも、老婆もこの世の人ではない。全身が白く発光している。

「清美。ついに、この日が来てしまいましたね。清文と秀美さんは、さきほど逝きました。わたしだけが少しだけ巫子の力を有しているので、しばしの時間の猶予があります。それも、つかのまだけれど」

 そう言って、年老いた女は清美、青蘭、龍郎と、順ぐりにながめていく。
「青蘭。あなたにずっと会いたかった。あなたはあまりにも苛酷な業を背負っているので、微力なわたしでは、どうにもしてあげることができなかった。でも、もう安心ですね。あなたのことも、清美のことも、安心して任せられる人が現れた」

 青蘭はかすかに顔をゆがめる。
 何かとても苦いものをかみつぶしたような表情だ。
「あなたは、僕の祖母か?」

 はっきり霊体とわかるその人が、ほんのりとうなずく。
「そうです。わたしは八重咲聖子。清文と星流の母です。四年前に死亡してから、霊となってこの家を守ってきました。子どものころに置いていった清文のことが気がかりでした。せめて少しはあの子の力になってやりたくて」

 青蘭は静かに口をひらく。
「……清文さんと秀美さんは、十数年前に亡くなっていたんだね? ツァトゥグァに殺されて。そのとき、きっと、清美の妹もいっしょに死んだんだ」

 清美が強く息を吸いこむ。
「どういう……ことですか?」

 聖子の霊が語る。
「古きものたちは賢者の石を欲しています。理由はわかりません。星流なら何か知っていたかもしれませんが。それで、賢者の石の欠片を所有しているこの家の人間を皆殺しにしようとしたのです。この家には星流のように、ときどき強い巫子の力を持つ者が生まれる。賢者の石をあやつる力を持つ者が。わたしはこの家の血筋ではないけれど、その力を生まれつき持っていた。だから、星流やその息子の青蘭、あなたには、より強い巫子の力がある。
 それに、清美。あなたもです。ツァトゥグァは、ほんとはあなたを殺したかったのですよ。あなたは巫子のなかでも特別な存在だから。
 そのことが、わたしにはわかっていました。あなたが生まれたとき、わたしのファミリアをあなたにつけて、あなたに何かがあったとき、身代わりになるように命じました。あなたには、それが双子の妹に見えていたはずです」

 ファミリア——つまり、使い魔のことだ。日本的な言いかたをすれば、管狐(くだぎつね)のようなものかもしれない。

「だから、その日から清美の妹は消えたのか。両親にはもともと、使い魔の妹の姿は見えていなかった。いっしょに死んだのが清美だと勘違いしたんだな」と、青蘭はため息まじりにつぶやく。

 清美自身は言われていることを、すぐには理解できないようだ。いや、理解したくないのだろう。
 それは自分の家族が何年も前にとっくに死んでいたことを認めることなのだから。

 聖子は続ける。
「死んだはずの清美がなぜか生き返って、一人でさ迷っているから、清文たちは死んでも死にきれなかったのでしょうね。強い悲しみがあの子たちを悪魔にしてしまった。清美を守るために、この世にしがみついていた。でも、もう終わりました。あの子たちも満足して成仏しました。
 龍郎さんとおっしゃいましたね。どうか、お願いします。青蘭のこと、清美のこと、守ってやってください」

 龍郎はなんと返していいかわからなかった。それはもちろん、青蘭のことは死力をつくして守るつもりだ。そう決心した。しかし、その上、清美のことも同じ気持ちで守れるかと問われれば自信がない。

 聖子は優しい笑みで、龍郎をながめる。
「あなたにはその力がありますよ。どうか一刻も早く、苦痛の玉を完全な形に戻してください。賢者の石は欠けていると、本来の半分の力も出せないのです」
「わかりました。おれにできるかぎりのことをします。必ず、おれの命に代えても」
「…………」

 聖子の霊は一瞬、何かを言おうとしてから、その唇を閉ざした。いったい何を伝えたかったのだろうか?
 やがて、ふたたび話しだしたときには、最初に言いかけたこととは別のことを口にしたと、直感的にわかった。

「痣人神社に行ってください。あそこに守られているものが、あなたの力になってくれます。きっと……ああ、わたしの力もつきてきました。さよなら。星の戦士。夢の具現者。……イエの巫子」

 聖子の霊は光になって消えた。
 呪文のような言葉をささやきながら。
 いつのまにか家守の姿もなく、廃屋のなかに無人だったあいだの時の流れが、冷気とともに戻ってきた。



 了
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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