君の声を聞かせて その五

文字数 1,542文字


「やめろ。やめろ。青蘭はおれのもんだ。青蘭。青蘭。そこにいるんだろ? 言ってくれよ。そんなやつ、好きじゃないよな? おまえが心を許せるのは、おれだけだよな?」

 龍郎は足元を見おろした。
 切り裂かれて、足首から血が流れている。そのかたわらに、ソレがいた。

 思わず、自分の目を疑った。
 それは、あたりまえのそのへんにいる生き物ではなかった。
 耳だ。人間の片耳に、手指が二本ずつ、両手両足のように生えている。

 声は、そいつの耳の穴から発されているようだ。

「青蘭。そこにいるんだろ? 見えないんだよ。おまえが見えない。何か言ってくれよ。おまえの声を聞かせてくれよ」

 龍郎は気づいた。それが、なんなのか。いや、誰の耳なのか。
 最上だ。
 あの悪夢のような山羊の男の結界のなかで、切りおとされた最上の耳なのだ。

「コイツか。昨日からずっと、おれたちのあとをつけてきてるような気がしたのは」
「うるせえな。このやろう。おれがちょっと目を離したからって、いい気になってんなよ? 青蘭はおれのもんだ。おまえなんかに渡さないぞ!」

 それは耳だから、見ることはできない。だが、こっちの話していることは聞こえるのだろう。

「おまえ……最上だよな?」
「だから、なんだよ?」
「おまえ、自分がどうなってるのか、わかってないんだな?」
「何を言ってんだ? おれはおれだよ。急に目が見えなくなったけど……暗い。真っ暗だ。青蘭。青蘭。そこにいるんだろ? おまえの声が聞きたいんだよ。なんでもいいから話してくれよ」

 その姿は当然、もはや人間ではない。悪魔だ。最上は死んで、この世に遺る未練が形となって、青蘭につきまとっている。最上のことだから、強欲の悪魔だろうと思ったが、涙声で必死に訴えかけるようすは、妙に悲しげだ。

「青蘭。青蘭。おまえの声が聞きたいよ。青蘭。好きだよ。やっぱり、おまえのことが好きだよ」

 青蘭はため息をついて、それを両手でひろいあげた。手の平にのせて、目の高さにまで持っていく。

「耀大。その言葉、五年前に聞きたかったよ。さよなら。僕の好きだった人……」
「青蘭……」

 ふうっと、青蘭が息をふきかけると、この世に遺った最上の最後の欠片(かけら)は、粉々にくだけた。光の粒になり、青蘭の口に吸われていく。

「青蘭。青蘭。ずっと、いっしょ……おまえと、いっしょ……」

 ささやき声の余韻が消えると、滝の水音があたりに戻ってきた。

 青蘭の双眸から、ぽろりと大粒の涙がこぼれおちる。

「耀大……悲しみの悪魔だったよ」
「そうだね」
「僕がいなくなったから、さみしかったのかな?」
「たぶんね」
「これで、よかったのかな? 龍郎さん」
「うん。おまえと一体になれたんだ。最上も喜んでるよ」
「うん……」

 むしろ、羨ましい。
 もう二度と、最上は青蘭から引き離されることはない。永遠に青蘭のなかに“ある”。

 あの山羊の悪魔も、最後に青蘭の怒りの炎に焼かれるとき、抵抗しなかった。見た感じ、青蘭に抱きしめられるのを、じっと待っていたようだった。青蘭と一つになることを望んだからではないのだろうか?

 きっと、彼らは彼らなりに、本気で青蘭を愛していたんだろう。それは青蘭を傷つける愛であり、悪魔の論理でしかないのかもしれないが。

 龍郎の胸に、青蘭がとびこんでくる。

「龍郎さん。僕は龍郎さんさえいてくれたらいい」
「おれもだよ。おまえさえいればいい」

 世界は光に満ちている。この光のなかに、青蘭をつれだすことができた。あの暗い闇の底から。
 そのことに心から感謝の念があふれてくる。悪魔たちの手からむしりとり、青蘭を解放することができた。
 青蘭には光の世界こそ、ふさわしい。



 *

 その夜。
 二人は生涯でもっとも幸福な時をすごした。甘い、甘い、蜂蜜色に甘美な時を……。



 了
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み