迷宮の扉 その一

文字数 2,311文字



「じゃあ、清美さん。留守番、頼みます」
「はーい。お二人が帰ってくるまでに、引っ越し業者さん呼んで、ダンボール移しときますねぇ」

 三月のなかば。
 龍郎は青蘭と二人、旅立った。
 熊本までは例のごとく、軽自動車で。
 問題は、そこからさきだ。

「薩南諸島の南東って、船がいるよね? もちろん、フェリーなんかは出てないんだろ?」

 熊本城を観光して駐車場に帰ってくると、青蘭はさっそく、助手席に残しておいた、お気に入りのユニコーンのぬいぐるみをかかえる。
 出会ったころにくらべたら、ずいぶん印象が子どもっぽくなった。

 しかし、それも過去のトラウマによるものなのだろう。
 この旅に出ると言いだしたころから、青蘭はユニコーンを抱いていないと寝られないようだ。

「フェリーどころか、今じゃ無人島ですよ。僕は十六まで、あの島にいたんです。そのあとは診療所も閉鎖させたし……」
「ちょっと待って。その島って、青蘭が子どものころに住んでた屋敷があった場所なんだろ?」
「そうですよ。そのあと、怪我をした僕のために、祖父が診療所を建てたんです。きっと、僕を島の外に出したくなかったんですね。だから、僕は義務教育も受けたことがないんだ。教科ごとに雇われた家庭教師が教えてくれた。祖父が死んだときに、僕はやっと島から出ることができた。初めて、世界は広いんだと知った」

 淡々と青蘭は語るものの、それはかなり特殊な生い立ちだ。青蘭が島に帰ることを嫌がるのには、そのへんにも原因があるのかもしれない。

 龍郎は青蘭を気づかって、言ってみた。
「青蘭。どうしてもツライなら、おれだけで行ってみようか? おれも賢者の石が体内にあるんだ。きっと、その場所に何かがあるのなら、反応すると思うんだ」

 が、青蘭は首をふる。
「あの場所で、僕はいつも一人でふるえていた。でも、今は一人じゃないよ。そうでしょ? 龍郎さん」

 まただ。また、心臓をわしづかみにされた。青蘭の甘えるように潤んだ瞳に見つめられるだけで、龍郎の心臓はとろけてしまう。目があうたびに毎回これでは、身がもたない。

「……ああ。ずっと、いっしょだよ」

 車のなかでキスをしていると、とつぜん、コツコツと窓を叩かれた。助手席側の窓だ。
 いいところで誰だよ。駐車違反じゃないぞ——と思いながら目をあけると、窓の外に男が立っている。年齢は三十前後。やけに若白髪が目立つくせに童顔だ。すごくイケメンというわけではないが、妙に人なつっこく見える。

 見ず知らずの人だ。
 制服を着ているわけでもないし、ポリスマンではない。

 龍郎は痴漢だろうと思った。
 こんな人目のあるところで、クレオパトラより数段、美しく妖艶な青蘭とくちづけをかわしていたのだから、じろじろ見られてもしかたない。

 龍郎はそのままエンジンをふかして発車させようとした。しかし、そのとき、青蘭のようすに気づいた。青蘭はなんだか青い顔をして、がくぜんとしている。

 童顔の男は笑いながら、何やら話している。窓をしめているので、よく聞こえないが、青蘭の名前を呼んでいるようだ。

「青蘭。知りあい?」

 たずねると、妙にさぐるような目つきで、青蘭は龍郎をながめる。それはまるで、青蘭の心のなかで、遠い過去と現在の重みを天秤にかけているかのようだ。陽光のなかで瑠璃色に透ける青蘭の瞳に、悠久の時の流れがたゆたっている。

「……僕を診てくれていた、先生の一人です」

 医者か。それなら、痴漢というわけではない。
 しかたないので、龍郎はパワーウィンドウのスイッチを押して、助手席側の窓をおろした。

 男はニコニコ笑いながら、なかを覗きこんでくる。

「やっぱり、青蘭だ。ひさしぶりだね。まさか君がこんなところにいるとは思わないから、自分の目を疑ったよ」
最上(もがみ)先生……」
「やだな。昔みたいに、耀大(ようた)って呼んでくれよ」
「…………」

 青蘭はうつむく。
 すると、男の目が急にキラッと光った。龍郎は油断のならないものを、その目の色に見た。

「そっちのが、新しい彼? これまでのなかで一番イケメンなんじゃないか? でも、青蘭のこと、ほんとに知ってるの?」

 バカにするような視線をなげてくる。

 もう間違いない。
 これは、青蘭の昔の男だ。

 友人にはお人よしだと言われる龍郎だが、こうライバル視されたんじゃ、いい人ではいられない。

「悪いけど、急いでいますので、ご用がなければ失礼します」

 窓をあげようとすると、青蘭がさえぎった。
「待って。龍郎さん。ちょっと、最上先生と話したいんだ」

 青蘭はユニコーンを座席に置くと、外に出ていった。少し離れた場所にある桜の木の下にまで、最上と二人で歩いていく。まだ(つぼみ)の桜。そこで何やら十数分にわたって、長々と話しこんだ。

 見ているかぎりでは、青蘭は困っているようだ。最上が一方的に復縁を迫っているように見える。

(待てよ。青蘭は十六まで診療所にいたと言ってたよな? そのころにつきあってたってことか? なら、青蘭はまだ未成年だ。未成年に手を出したのか? あの男)

 それはまあ、青蘭が十五、六のころなら、ものすごい美少年だったろう。今だって、そこらの美女なんて足元にも及ばない美形だが、成育途上の未発達な青蘭は、まごうかたなき妖精のような美貌だったに違いない。
 誰だって惹かれる気持ちはわかる。だからと言って、未成年に性的関係を迫るのは犯罪だ。

 そんなことを考えていたせいか、妙にイライラする。いや、妬いてるなという自覚は、龍郎にもあったのだが。

 車内からながめていると、青蘭がこっちにむかって、ひきかえしてくる。その手を最上がつかんだ。そして、抗うそぶりを見せる青蘭を抱きとめ、唇をかさねた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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