瑠璃夢 その二

文字数 2,160文字



 最初に悲鳴が聞こえたのは二階だった。しかし、龍郎が邸内に駆けこんだときには、騒ぎは一階に移っていた。言い争うような叫び声が食堂のほうから響く。

 玄関ホールからでさえ、すでに血の匂いがかぎとれた。

 螺旋階段の途中に、誰かが倒れている。ぶらりと片手を手すりから出して、何度もひねったような変な体勢をしていることからも、すでに息をしていないことはわかった。

 廊下にも一人。
 廊下に倒れているのは老人だ。冬真の祖父である。この前はこの老人が銃を乱射していたが、今日はまた別の誰からしい。

 食堂に走っていく。
 ドアは開放されたままだ。
 そっと、なかをうかがうと、窓ぎわに女が二人、立っていた。格子の美しい窓を背景にして、二人の姿が黒く浮きだしている。龍郎からは女たちの横向きのシルエットが見えた。

 透子と瑠璃だ。
 今日もまた、透子が瑠璃を殺そうとしているのかと、龍郎は思った。助けにいこうと室内にとびこんで、ようやく気づいた。

 違う。
 狙われているのは瑠璃じゃない。
 猟銃を持っているのは、瑠璃のほうだ。

「瑠璃さん。やめるんだ!」

 龍郎が声をかけたときには遅く、銃声が一発、轟いた。
 黒い女の影が一つ、棒きれのように直立のまま倒れた。

 ハアハアと息をつく荒い音が聞こえる。

「瑠璃さん……やめるんだ。君にこんなことをしてほしくない」

 あるいは、すでに一家全員、皆殺しにしたあとかもしれないが、そう言わずにはいられなかった。

 瑠璃の憤りはもちろん、わかる。
 彼女が家族のなかで受けた虐待は、女ならとても許せないものだ。

 だが、今の瑠璃は青蘭でもある。
 青蘭に人を殺させたくない。
 身勝手な言いぶんだということは理解している。それでも、龍郎の一番は青蘭なのだから。

「瑠璃さん。やめてくれ。頼む」

 龍郎が近づこうとすると、瑠璃の体の向きが変わった。横顔のシルエットが見えなくなる。瑠璃が龍郎をふりかえったのだ。同時に銃口がこっちを向いた。

「瑠璃さん……」
「もう遅いの。みんな終わりにするのよ。ジャマをしないで」

 カランと瑠璃は猟銃をすてた。
 あきらめてくれたのかと一瞬、安堵した。が、瑠璃はすぐに、どこからか別の凶器をとりだした。かすかに刃のきらめきが闇に光った。

 龍郎はいっきに不安になる。

「瑠璃さん。それをどうするつもりだ?」

 龍郎を殺すつもりなら、猟銃を使えばいい。そうしないのは、標的が龍郎ではないからだ。猟銃では銃身が長すぎて、自分を狙うには適さない……。

「だから、終わりにするの」
「君が死ぬことはない。みんなが君を苦しめたんだ」
「……わたしね。あの木の下に大切なものを埋めたのよ。何度もよ? とても大切なものだったのに」
「何を埋めたの?」

 言いながら、龍郎はすきを見て少しずつ、近づいていく。なんとか、瑠璃の手の刃物を奪いとらなければ。

「来ないで。わたし、本気よ。あなたを傷つけてしまうかもしれない」
「おれが傷つくのはかまわない。君のためなら、おれはなんだってするよ」
「嘘よ。あなたは、わたしのこと覚えてなかった」
「……そうだね。でも、青蘭。君だって、おれのこと忘れてるんだ。おれのこと、思いだしてくれ」
「わたしは、あなたのこと、忘れたことなかった。兄と遊んでいる男の子のなかで、あなただけが、わたしに遊ぼうって言ってくれた。わたし、とても嬉しかった」
「それは瑠璃さんの記憶だろ? 青蘭。君は君のことを語れ」
「わたしは瑠璃よ」
「違う。君は青蘭だ。おれの大切な、この世でたった一人の人だ」

 とつぜん、瑠璃は叫んだ。

「違う! わたしは瑠璃よ。あの木の下に最初に埋めたのは十五のときだった。とても小さくて、醜い赤い肉のかたまり。でも、女の子だってわかった。なんとなくだけど。わたしの体から出てきたときに、急にかわいそうになったの。なんで、ちゃんと生んであげなかったんだろうって。憎い男の残した不浄の証。だけど、あの子にだって生きる権利はあったのにね」

 龍郎は言葉に詰まった。
 彼女が義父の勝久から受けていた暴力が形になれば、とうぜん、そういう結果になるだろう。

「……君がザクロの木の下に埋めた大切なものって、赤ん坊か?」

「まだ赤ちゃんとも言えない小さな胎児だった。生まれる前に母親のわたしに殺されてしまったの。なんてかわいそう。だから、ザクロの木の下に埋めてあげたの。だって、ザクロは鬼子母神に捧げるための供物でしょ。鬼子母神は子どもを守る神になったの。ザクロの木と一つになれば、きっと、あの子たちも女神のもとへ行って、救われると思って」

 女神への供物。
 異界からの捧げもの……。

「そういうことだったのか。だから、この屋敷が魔界に通じていたんだ。女王を守る魔法媒体の胎児は、みんな、君の……」

 瑠璃の心が呼んだせいなのか、あるいは魔界の住人のほうがその匂いをかぎつけて、そこに巣食ったのかはわからない。しかし、二者のあいだで、ある種の共鳴のようなものが働いたことで、たがいを呼びあう形になったのだろう。

「瑠璃さん。これは君の見る夢だ。毎夜、夢のなかで終わりを思い描いている。そして、現実に戻ろうとする青蘭の夢と混同しあっている」

「わからないわ。でも……もう、どうでもいいの」

 瑠璃はにぎりしめたナイフの切っ先を、自分の喉に向けた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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