四の世界 その三

文字数 2,347文字



 赤ん坊の像がものすごい速さでブレる。増えたり、減ったり、重なる瞬間が見定められない。
 もしも外したらと思うと、なかなか撃てない。

 見つめていると、ゆっくりと赤ん坊が目をひらいた。その瞳を見て、龍郎は硬直した。深く澄んだ瑠璃色の瞳は、まるで青蘭のそれのようだ。

「青……蘭?」

 赤ん坊の瞳から視線をそらすことができない。魅入られたように凝視し続ける。

 すると、その瞳の奥に景色が見えてきた。黒々と闇のなかに枝を伸ばすザクロの木。その根元で涙を流す青蘭……? いや、違う。長い黒髪やワンピース姿のほっそりした体つきは青蘭に似ているが、別人だ。

 その人は泣きながら、ザクロの根かたに何かを埋めている。

(何を埋めてるんだ?)

 手元までは見えないが、声が聞こえる。

「ごめんなさい。さよなら。わたしの大切な……」

 その人がこっちをふりかえる。
 まるで、龍郎のことが見えているかのように。
 その顔、やはり青蘭ではない。だが、知っている人のような気がした。

「壊して。壊して。もう逝かせてあげて」

 その人の瞳から涙がこぼれおちた。
 時間が止まったような不思議な感覚に包まれる。赤ん坊の像が、ピタリと一つに重なった。

 龍郎のかまえたパイプから光が発する。虹色を帯びた金色の光が、赤ん坊の胸のまんなかをつらぬいた。赤ん坊は積み木のように崩れおち、ビシリと空間に裂けめが生じる。次元を超えて世界に傷がついた。そんな感覚に襲われた。

 やったのだ。
 魔法の媒体を一つ、確実に七つの世界のすべてで破壊した。
 これで女王に一歩近づいた。

 しかし、喜びもつかのま。
 あたりに警報の音が鳴り響く。
 塔の下から、戦闘天使が蟻のように、ワラワラと寄り集まってくる。

 そのなかに、あの天使がいた。
 背中に翼を持つ邪眼の天使だ。サンダリンという名の戦闘天使。

 崩壊する塔の頂きの瓦礫(がれき)をすりぬけ、低空飛行でこっちに向かってくる。
 すごい速さだ。
 一直線につっこんでくれば、その勢いだけで、龍郎は塔の下までふきとばされる。

(くそッ。せめて、あと一つ、媒体を壊せたら——)

 少しでも女王にアタックできる回数を増やしたい。そのためには、この四の世界で、できるかぎり粘っておかないと。

 パイプをかまえ、狙いをつける。が、発射された光線はさっきにくらべ、ずいぶん細い。サンダリンは器用に空中で旋回して、舞うように龍郎の攻撃をかわす。みるみる、龍郎の目前にまで迫ってきた。

 衝突はさけようがなかった。
 邪眼ににらまれ、体が動かない。
 猛スピードでダンプカーがぶつかってきたような、ものすごい衝撃のあと、龍郎は塔の外までなげだされた。

 空中を落ちていく。
 数十メートルの高さから。
 風を切る音を聞きながら、龍郎の意識は朦朧(もうろう)としていった。

 翌朝。
 目がさめると、龍郎はベッドの上にころがっていた。いつのまに、氏家の客間に帰っていたのだろうか。

 一瞬、そう思ったのだが、違っていた。

 あたりが仄暗い。
 それに、まるで牢獄のなかのように殺風景だ。

 この景観には見覚えがある。
 幽閉の塔のなかだ。

(おれ、捕まったのか?)

 あの高さから落ちて無傷だったとは思えないのだが。

(そうか。サンダリンには翼がある。あいつが落下途中でおれを捕まえて、ここに入れたんだな)

 それなら、まだ希望がある。
 この場所をぬけだすことさえできれば、他の塔の魔法媒体も損壊させられるかもしれない。

 だが、そのとき、足音が近づいてきた。やがてハッチの前で止まる。入ってきたのは天使たちだ。一の世界で見た、囚人の世話係である。妙な機械のようなものをワゴンに載せている。

 四、五人でやってくると、龍郎が起きあがろうとするより早く、機械を龍郎の頭や手足にとりつけた。

「あっ、おい。何するんだ。離せ」

 労働天使だと思って油断していた。
 彼らが機械のスイッチを入れると、龍郎は深い睡魔に襲われた。

 龍郎は夢を見ていた。
 夢のなかで見る夢。

 夢のなかで、龍郎はなぜかリエルと話していた。早口でまくしたてているので、声が聞こえない。
 まるで水槽のなかから外をながめる熱帯魚のようだ。振動で音は伝わるが、言葉としての細部まで聞きとれない。うっすら膜が張ったように、ボコボコとしか聞こえなかった。

 それでも、リエルが喜んでいるらしいのはわかった。能面のようなポーカーフェイスが嘘のように微笑している。こんな笑いかたもできるのかと、夢のなかの龍郎はうっすらと思う。

 ボコボコ。ボコボコ。ボコボコボコ……。

 そのあいまに、うっすらと言葉の切れっぱしが届いてきた。


 ——君だったのか……魂の形が…………だからこそ、苦痛の……が……を選んだ。


(何を言ってるんだ? 聞こえないよ)

 すると急にリエルの言葉が明瞭になる。

「安心したまえ。二の世界の青蘭はまだ生きている。だが、あいつを信用するな。私はあいつこそが…………だと疑っているのだ」

「そんなわけがない。青蘭は…………なんかじゃない」

「でも、我々のなかに間諜(スパイ)が潜んでいるのは確実だ。あいつしか考えられないんだ」

「よくそんなことが言えるな。アスモデウスは君の兄だろ?」

「広い意味では我々は皆、兄弟のようなものだ。彼だけが特別な存在ではない」

「おれは信じない。君は間違ってる」

「あいかわらず、頑固だな。◯◯◯◯」

 自分の名前を呼ばれたはずなのに、よく聞こえなかった。

 リエルはさみしそうに笑うと、つぶやいた。

「まあいい。今はとにかく、邪神を倒すことが先決だ。君の魂が消滅していなかったことだけでも、私には朗報だったよ。次は五の世界だ。せいぜい、やられる前に一つでも多くの媒体を破壊してくれたまえ」

 リエルの姿が霞みのむこうに隠れる。

 龍郎の意識は闇のなかに落ちた。



 了
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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