ラビリンス その十五

文字数 1,990文字



「死んでる!」
 冴子の手首をにぎり、神父が叫んだ。

 それは、そうだろう。
 あれだけ大量の血を口から吐いていれば、生きているとは思えない。

 龍郎は最上に向きなおる。

「あんた、最後におれたちのところまで来たな。あんたじゃないのか?」
「おれじゃない!」
「でも、あんた以外は、角のところで話してた。そのすきにやったんじゃ——」
「違う!」

 すると、最上はポケットからナイフをとりだした。両手でにぎって、つきだしてくる。

「やっぱり、あんた!」
「違う! 青蘭だ。そうだろ? おまえはあの化け物とつるんでるんだ。おまえは化け物だからな。そうに決まってる!」

 わめきちらして、青蘭に切りつけようとする。だが、最上の手つきはあきらかに素人だ。刃物を暴力に使うことに慣れていない。多少、武術の心得のある龍郎には、かんたんに止めることができた。手首をにぎり、脇の下に最上の腕を押さえこむ。

「なんのつもりだ。あんた」
「青蘭が悪いんだ。全部、青蘭が悪い。化け物のくせに、こんな綺麗な顔して。あんな汚いガキだったくせに、忘れられない。こいつは悪魔だ! 殺してやるんだ!」

 龍郎は最上の手から、ナイフをむしりとった。無意識に嘆息がもれる。

「……あんただって、青蘭を好きなんじゃないか。なんで、優しくしてやらなかったんだ? あんたが裏切らなければ、青蘭がここまで人間不信になることはなかっただろうに」
「はッ? 好き? おれが? 青蘭を? そんなわけあるかっての! おれはマトモなんだよな。こんな怪物、好きになるわけないだろッ? あんただって、コイツのほんとの姿を見たら——」
「知ってるよ」
「はッ?」
「知ってる。それでも、おれは青蘭が好きだ」

 最上はとつぜん、ぺたりと床にくずれた。龍郎の言葉に打ちのめされたようだ。

 二人とない比類ない美貌と、痛ましい傷痕。どちらも青蘭だ。ほんとの青蘭。
 めまぐるしく変化する外見に惑わされ、最上は自分の本心が見えなくなってしまったのかもしれない。
 きっと、このくらいの男のほうが普通なのだ。金にも外見にも心乱されない龍郎みたいなのは、少数派。ある意味、異常なのだろう。

 龍郎は最上の手を離し、ナイフをひろいあげた。ナイフは新品のようだ。刃が照明を受けて、キラリと輝く。龍郎は違和感をおぼえた。

(あれ? なんで汚れてないんだ?)

 最上が冴子をやったのなら、刃は血にぬれているはず。それに肝心なことだが、殺人鬼はメスを持っていた。影だけを見ても、手術用のメスだとわかった。ナイフではない。

(違う。最上じゃない。少なくとも冴子さんを殺したのは)

 じゃあ、誰なんだと思った瞬間、ヒラリと視界の端で何かが光った。メスだと認識したときには、目の前に赤い血が飛散していた。

 ギャアアアーッと悲鳴をあげ、最上が床にうずくまる。片手で耳を押さえているのだが、その手の下からドクドクと血があふれてくる。床の上にちぎれた耳が落ちていた。

 龍郎はあぜんとして、その人を見つめる。なんで、この人はこんなことをするんだろうと、ぼんやり思う。
 フレデリック神父の手に、メスがにぎられている。

「……神父?」
「龍郎さん。ダメだ!」

 青蘭が龍郎の手をひいて、うしろに退かせる。

「よく考えて。僕たち、ここが僕の記憶の世界だって一度もこの人には言わなかった。なのに、この人は知っていた。僕の記憶の世界が、山羊の男の結界とつながってるんだって、さっき言った」

 ふははははと、神父は高笑いを始める。その姿が見る見るうちに大きくなっていった。もともと背は高いが、またたくまに二メートルを超え、三メートルには達する。顔つきも変貌し、頭からは角が生えてきた。

 青蘭が龍郎の手をぎゅっとにぎりしめる。

「やっぱり、そうだ。おまえだったんだ。この診療所の開設から閉鎖まで、ずっと居続けた職員は、ただ一人。おまえだけだ」

 青蘭はふるえている。
 にぎりあった手から、そのふるえが伝わってくる。でも、それでも、勇気をふりしぼり、青蘭は片手を男につきつけた。

「この診療所の所長で、僕の主治医だった、柿谷。おまえが山羊の悪魔だったんだ!」

 いったい、いつからフレデリック神父に化けていたのだろうか。
 龍郎は初めて見るが、その造作は今や、神父の端正な白皙とは似ても似つかない。日本人らしいノッペリした顔のなかで、金色の山羊の目が光る。
 龍郎たちの見ている前で、柿谷の顔面は黒い獣毛に覆われていった。ねじれた角を持つ山羊の頭だ。

 山羊は腰をぬかしている最上の喉を、あっけなく引き裂いた。ホースのやぶれるような音がして、血がとびだす。最上は白目をむいて倒れた。

「青蘭。待っていたよ。おまえが帰ってくる日を。おいで。私の可愛い青蘭。また楽しくやろうじゃないか。ヨリを戻そう。そんな人間の男に、おまえを満足させられるものか」

 悪魔は優しい声音でささやいた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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