探偵ボードレールと病める花々【第十八話】
文字数 1,170文字
今回はボードレールが近代を〈探偵して〉その相貌を探るお話ね。
ボードレールは明確に、近代の相貌を規定するのです。どう規定したか。以下、抜粋なのです。
「実際に近代的な題材を扱う詩人たちのうち、多くは二番煎じの、公式的な題材で満足している。こういう詩人たちはぼくらの勝利を、ぼくらの政治的ヒロイズムを、扱う。それも政府に指示されるから、報酬を貰えるからそうするだけのことで、いやいやながらやっている。だが、私生活からの題材であって、ずっとヒロイックなものだってあるのだ。社交生活の劇、大都市の地下に巣食う無数の無軌道な存在、犯罪者や囲われた女の劇。裁判記録や新聞から明らかなように、眼を開きさえすればぼくらは、ぼくらが所有しているヒロイズムを認識できる」
そのヒーローのイメージのなかに、ここでは無頼漢(アパッシュ)が入り込むのじゃよー。
あちしに黙って死の話をするでない、この死神少女が。
〈死〉じゃなく、〈詩〉なのですよー、エンマさま……じゃなかった、エンマちゃん。
詩は死にも通じる。インスピレーション(霊感)のもと、詩作はするものじゃからな。それに、ボードレールという男、なかなかに詩集ならぬ死臭が漂った詩を書きよるしのぉ。
無頼漢の入り込んだヒーローのイメージのもとで。ボードレールは市民のなかに、ユゴーがかつて早期に「懲罰」詩篇で効果的にスケッチした、共犯者の特徴を認めないのでした。
どういうことかというと、無頼漢文学は、そのヒロイックさの幻想にもとづいており、この水脈はボードレールに端を発しているのですよ。
そして、エドガー・アラン・ポーのヒーローは犯罪者ではなく、〈探偵〉だった。
一生を通じて社会の片隅、大都市の暗黒地帯から抜け出れない無頼の徒は、ボードレール以前には文学のなかに場所を持っていなかったのです。『悪の華』のなかで、この題材をはっきり打ち出した詩篇「殺人者の酒」が、パリ風のジャンルの出発点となったのでした。
このジャンルの「聖地」となったカフェ『黒猫(シャ・ノワール)』には、初期の英雄的な時期に「行人よ、近代人であれ」という額が飾られることになったのです。
ここから、混淆が始まるのじゃな。ヒロイックさを持った、ヒーローと無頼漢の。
詩人たちは社会の屑を街頭に見出し、まさにその屑にヒロイックな題材を見出すのです。ヒーローという高貴なタイプのなかへ、低俗なタイプが写しいれられるのです。
無頼漢文学とは、詩人とは、ヒロイックな人々とは? 次回はそこを探偵していきましょ。
ここには軽率に百合ックスするような人間しかおらんのか……。よし! ちづちづよ、受けてたとうぞ!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)