理性の系譜【第一話】
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ある意味、その通りよ。「まわりがAさんをどう思うか」が、この場合、一番問題となる。または、Aさん自身の心身の失調が起これば、大問題。逆に、幻聴(ヒアリングヴォイシズ)が聴こえたとしても、跳ね返せるなら病院へ無理に行かなくてもいいわ。難しいけどね。なぜ難しいかというと、「幻聴は自分じゃどうにもできない」からよ。
合法、非合法を問わず、こころに作用するくすりは大別すると、アッパー系とダウナー系にわかれるのです。交感神経で活発になるのがアッパー、副交感神経で活発になるのがダウナー、という例を出せばわかりやすいかもしれないですね。こころのおくすりだと脳内報酬系の分類です。
アッパーは気分の高揚、ダウナーは鎮静、ね。処方箋薬でダウナーにして、鈍麻させないと切り抜けられない状態っていうのも、ひとにはあるものよ。なんでも「明るく、元気に」なんて、嘘よ。落ち着くのが処方だ、ってことも、たくさんあるの。特に、この幻聴のようなものの場合、鋭敏な感覚でいたら、自分の精神がやられてしまうわ。その対処療法としての、感覚の鈍麻ね。
今回はフーコー『狂気の歴史』のお話です。もう一度、ボクらが何度も話しているテーゼについて、考えてみるのです。「精神の病は、社会的な病である」とした場合の、「社会」とは、いったいなにを指すのか? 言い換えれば「理性」とは、いったいなんなのか。議論を先取りすると、「社会」も「理性」も、その定義が時代によって異なるのです。それを解きほぐし、精神医学と「理性/狂気」の歴史について見ていくのです。
そんなわけで、今回は「狂気」および「理性」の変遷をたどっていくわ。
長丁場にはしないつもりだけど、よろしくね。
つづく!