潜在性ミル・プラトー(下)

文字数 1,975文字

で、ヴァーチャリティの話だったかしら。潜在性。
ドゥルーズにおいて、差異とは、記憶としての〈潜在性〉だ、というのです。様々な物質を成り立たせている差異化の原理が過去一般としての記憶としてあるのだ、と。ドゥルーズにとっては、そうした潜在的なものこそが実在するものであり、個々の事物というのは、それがたんに現働化したもの、アクチュアリザシオンなものであると、言うのです。
えーっと。ドゥルーズ『差異と反復』に出てくるアクチュアリザシオンは、つまりは〈現実化〉のことね。それを難しく「現働化」と言ってるわけ。訳語にするのにいろいろあったんでしょ。
ちなみに〈実在化〉はレアリザシオンね。潜在的(ヴィルチュエル)なものを可能的(ポッシブル)なものと混同してしまうという危険がある、っていうお話の文脈ね。
現実においてここにあるものは、ヴァーチャルなものからアクチュアリゼーションしてきたものであって、それは事物や物の状態に過ぎない。だから、アクチュアルとリアル(レアル)をわけるのです。
この「可能なもの/実在的なもの」と、「潜在的なもの/現働的なもの」という、可能性をめぐる二つのレジームの区別は、ドゥルーズ&ガタリにとって、とても大切なものなのですよ。
ドゥルーズ&ガタリっていうのは、哲学者ジル・ドゥルーズと精神科医フェリックス・ガタリのコンビのことよ。ふたりで出した共著が『アンチ・オイディプス』であり、『千のプラトー』ね。
では、潜在性はリアルである、という考え方を見ていくのです。
「もうひとつの世界は可能だ」という言表は、「可能性」そのものの存在をむき出しで表現しているにすぎないのです。しかし、この「可能性」の存在を表明するだけの言表があえてスローガンとして打ち出され、かつ政治的インパクトを与えたとしたら、可能性をめぐる思考や実践が第一のレジームによってほぼ完全に支配されているからではないのか……つまり、「可能的なものの専制」が思考と実践の現状にあるからではないのか、ということなのです。
だからドゥルーズは、ヴァーチャルなものこそリアルであって、アクチュアルなものがポッシブルなものと対になっておらず、交差していると言うのです。差異を生み出す潜在的な次元こそが、実在するリアルなものである、と。
さあ、スピノザに戻るわよ。スピノザは、実体・属性・様態という三つの概念を使って世界を概念化する。この場合、潜在的なものに該当するのは実体。様態というのは、個々の事物。それはリアルなものではなく、実体が属性を通じて〈現実化〉したもののことなのね。
それをドゥルーズは「実体の『表現』だ」とするのです。アルトーに端を発する「器官なき身体」は、スピノザの様態の理論に基づいて組み立てられているので、『アンチ・オイディプス』から『千のプラトー』のラインにおける、もっとも重要な引出しだ、と語るひともいるわけです。
ドゥルーズの哲学では、潜在的なものが差異を生み出しながら個々の存在者を成り立たせるのだ、と考えられていて、それこそが実在するリアルなものとなるのです。
さて。覚えているかしら。『存在者』とは、ハイデガーの用語よ。簡単に説明すると、「存在するもの。人・物など個々の存在物を、存在そのものと区別していう語」となるわね。『存在と時間』に詳しいわ。ちなみに、「ダーザイン」て発音するの。実は「存在者」をめぐって、「いや、ひとだけどひとじゃない。その中間であって……」って感じで考えてしまい、差別を行ってしまったことによって、ハイデガーは大変な過ちをおかしてしまうけれども、それはまた別のお話。
ドゥルーズもフーコーも、「抵抗」という古めかしい言葉にこだわるのです。それは「抵抗」とは「思考」だから、なのです。「思考」は、知識でも、科学でも、道徳でもないのです。
そして、「差異」。構造主義は「差異」を、一貫して認識の原理だとみるのです。連続体があって、差異の網目が置かれて分節する、という前提があるのですよ。たとえばソシュールの場合、差異は認識の原理ではなく、存在の原理だとしますね。モノが在るということ、それ自体に差異は一致するのですが……、そうはいかないのです。
ドゥルーズ&ガタリはカオスです。ですが、そのカオスは、ニーチェのインセンシティと同義だという考え方もできるかもしれないです。
今回、言ってることがもうカオスよね。断片を語っているかのような。
「私」とは一つのハピトゥスである。ある事柄が日々繰り返されて、習慣(ハピトゥス)が生まれ、それがいつの間にか自己になる。それが「私」であるにすぎないので、「私」が世界を作り出すのではない。……Byヒューム
先が思いやられるわね……。
   つづく! のは、無理だと判断するわ。

   【潜在性ミル・プラトー:BAD END】

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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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