独自方法の理論化、その前にまずは肩の力を抜けよ【下】
文字数 1,643文字
わたしのまわりでも最近、「わたしは文才が枯渇した」って言ってたひとがいたんだけど、それには対処法はあるわよ。じゃあ、次はさらっとその話をして、今回は終わりにしましょうか。
お姉ちゃん、今回もまた挑発的なお話をしてるねぇ。だから嫌われてプロとしてお呼びがかからないんじゃないの?
ちづちづが言うのももっともな話ね。でも、自重するターンではない、と考えるわ。
理科はそんなこと言ってるからこの『死神はいつも嘘を吐く』で書いたエピソードの約半分を非公開状態にすることになってしまったのですよ? 少しは我が身を振り返った方が良いと思うのです。
そうね。さっき言った「わたしは文才が枯渇した」って、ツッコミどころ満載じゃない。わたしには文才があった、と言ってるようなものだし、それこそ「じゃあ、なんでプロではないのですか?」って話。でもそれだけじゃない。もっと重要な問題がある。
みんなわかるわよ、この言葉。言葉の意味ではなくて、普通に考えて、そんなこと言ってる状態って、メンタルが弱ってる。間違いないわ。
いや、みっしーよ。誰でもメンタルは弱るときはあるぞ。
そうね。小説を書き続けるってことは長期戦を戦うってことよ。休むことも大事。
メンタルが弱ってる、インプットが足りない、
身体がそもそも不調である、
……のいずれかの状態じゃ、
『数年間持続して小説を書き続けることなんて無理』よ。
ていうか、それは日々の生活もろくに出来ないんじゃないかな。
その前に、持続して小説を書き続ける、って考えるとそれは仮想敵としてプロ作家に対抗しようとしてるわけよね。そうすると、楽しんで小説を書くだけじゃなくなってくる。だったら、戦略も必要になってくる。
でも、それこそプロでもないボクたちが言うべきことでもないのではないのですか?
いや、書き続けるということに関して言えば、成瀬川るるせって、名義が違ってるからわからんだけで、キャリアがクソ長いのじゃ。先輩の言うことで参考になることは、聞いた方が良いこともあるぞ。
理論には感性を、感性には理論をぶつけろ。大理論家に理論だけで立ち向かうのは得策じゃないし、天才の感性に感性で敵うか、って言ったら敵わない。ライバル視してる人間の逆の方法論をぶつけるのが良いわね。
お姉ちゃんたら、なに言っちゃってるんだか(ため息)。
「自分なりの創作論」という理論を持つことは重要って話よ。さっき言った、「アマチュアの創作論」も、今まで自分では言語化出来なかったことを言ってくれてることがある。自分に合うなら、それも取り入れる。そのためにアマチュアの創作論や、プロの個人談も、使えるもんはすべて取り込む貪欲さが必要よ。それで、「自分なりの創作論」という理論を持つこと。
まあ、天才っていうのは、感性のかたまりだったりしますからねぇ。逆に、理論で攻めるのは秀才、と呼ばれるのです。
ミステリじゃと、「なんとかシステム」とか呼ばれるのがあるのぉ。島田システムとかが有名じゃな。システムとはすなわち、その者の理論じゃな。
スランプに陥ったとき、使える手がかりとして、理論が重要になる。なにをフックにして自分は創作に着手しているのか、理論化出来ていればすぐにスランプを脱せる。そのためには、元気なときに、早めに自分なりの創作論を構築しておくと、絶対的に有利ね! これはそういう話よ。
まあ、今の一連の話は、小説家に向いてる人間向けの話なのです。小説家に向いてない人間だったら、正直、今言った話は全部無理なのです。諦めるのも、楽しく人生を生きるには必要なのです。諦められないバカが、残って書き続けていくものなのですよ。
ねぇ、なんか今回、とても酷い話をしてない?ねぇ、酷くない?
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