探偵ボードレールと病める花々【第十三話】
文字数 1,202文字
行政的管理の進展を、当然ながら、技術的方策が助けたのです。人間を同定する仕方は、この頃はベルティヨン方式が標準的になっていたのですが、もともとは署名によっていたのです。同定方法の歴史の上では、写真の発明が新紀元を開いたのでした。それは〈犯罪学〉にとって、〈文学〉にとって、印刷術の発明に劣らない、大きな意味を持ったものだったのです。
ある人間の痕跡を長期的かつ明察に定着することを、写真は初めて可能にしたのです。〈探偵小説〉が成立したのは、人間の匿名性に対する様々な侵略のなかでもっとも痛烈だった侵略が、地歩を固めたときなのです。それ以降、人間の言行を捕まえようとする努力は、尽きることを知らなくなったのでした。
ボードレールの好きな孤独は、群衆のなかの孤独だった。伝えられるところによると、呪わしいブリュッセル滞在のおりに、ボードレールには、いろいろ不足していたのだけれど、とりわけこたえたのは、次のことだったと言うわ。
「飾り窓がひとつもない。想像力を持つ人々が愛する遊歩は、ブリュッセルではできない。見るものがなにもないし、街頭は使い物にならない」と。ボードレールは孤独を愛した。でも、こんな孤独じゃなかったのね。ボードレールが愛したのは、群衆のなかでの孤独だった。
ボードレールのパリは、後年には橋が架かるところにもまだ渡し船があって、セリーヌ川を横切っていたのです。ある企業家は、資産のある住民たちの便宜のため、500挺の籠を周航させる着想を、ボードレールの没年にやっと実現できた、という。そのくらいの時代のお話です。
パサージュはまだ愛好されていて、そこでなら遊民は歩行者を歯牙にもかけないで行く馬車を、見ないで済んだのです。群衆に割り込んでくる通行人もいたのですが、いまだ遊民もいて、その〈空いた空間〉を私的に利用しようとしていたのです。
ジュール・ラフォルグがボードレールについて「首都の生活者たるべき劫罰を日増しに決定づけられていく者」として、パリを語ったのはボードレールが初だった、と言っていたそうよ。ベンヤミンはそう、書いているの。
つづく!!