地下室からのコナトゥス【第一話】
文字数 1,671文字
理科が今言ったことを言い直すと、「ヘーゲル的主体」を、絶えず自己をその内部に見出し、「全体」へと至ることのない主体である、と解釈している……と言えばいいですかね。バトラーがヘーゲルのスピノザ批判を取り上げるのは、このような文脈においてなのです。
スピノザは、有名な『エチカ』を書いた思想家。親の地下室の中で『エチカ』を読んでいたバトラーの、そのエピソードから、ジュディス・バトラーの話は始まるのね。もちろん、個人史的なことを語らないわけにはいかなくなるけど、バトラー『ジェンダー・トラブル』を語る前に、その前のテクスト『欲望の主体』について語る必要もある。今日はその話をすることになりそうね。
シナゴーグで「哲学」を学ぶことになったとき、バトラーは「このチュートリアルにどんな勉強がしたいかと尋ねられた時、なぜスピノザはユダヤの共同体から破門されたのか」を勉強したい三つのトピックのひとつとして挙げたのです。
「彼の破門は、その当時彼が属していた共同体における語りえぬものの境界線を描いている。それは結果として、いかに共同体が語りえぬものを確立することを通してそれ自身を定義するかを示している」と、バトラーは言うのです。
ちなみに、みっしーの話にちょっと出てきた『語りえぬもの』っていうのは、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』での最後の命題「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」からの言葉ね。この命題は形而上学の終焉を告知する言葉として広く知られていて、現在でもしばしば引用されるから、注意してね。
要するに「哲学」によって「生」を救済することはできない、と。しかし、バトラーはそれでもなお「哲学に実存的で政治的なジレンマを委ねる」のです。その立ち位置が、学内でのアクティヴィズム参与につながるのですね。
と、いうわけで、次回へつづく!