潜在性ミル・プラトー(上)
文字数 1,789文字
いきなりなのですが、空海の言う『密教』の「密」とは、「潜在的」という意味なのです。「密」ではない一般の仏教を『顕教』、仮の教えでしかないとするのですよ。じゃあ、顕教とはなにか、というと、現働化されたものの諸関係でしかものを考えない、そういう教えである仏教のことだ、と言うのです。空海側からすると、ですが。
空海の言う大日如来とは、要するに最も潜在的な実体のことなのですよ。より善きものは、より深い潜在性からの現働化、収縮の運動を繰り返す。如来は最大の収縮を実現させる実体で、この世界の隅々を満たしている、と。だから、これを全面的に肯定せよ、と言うのですね。
ヨーロッパでスコラ哲学がハイブリッドに興隆しつつあった頃に、道元は生きたのです。その頃の国際交流の中で思考を育んだひとなのですよ。ドゥルーズは『正法眼蔵』の、「蔵」というものに着目したのです。「時は出来事を保存する蔵である」ということ。
右とか左とか、世の中はうるさいのですよね。だいたい、構造主義はマルクスを経由してるから全部左だとか言うのは、気が狂っているのです。檄文はだいたいエンゲルスの方がつくった、と言われているし、エンゲルスは資本家なのですよ。あと、西欧マルクス主義は一国社会主義を「ミスリーディングだ」とするのです。
保守と改革で右左言ってたら、政治家は全員、通常は左と言うことになるのです。日本の場合、戦中に反戦活動を非合法にやってた団体があり、それとごちゃごちゃになっているのです。あと、学生運動をやってたひとたちがみんな書物を読んで理解してたなんてのはあり得ないです。発行部数をよく考えてほしいのです。
今回もまた、いきなり始まっちゃったけど。
だらだらトークを珈琲でも飲みながら聞いてくれると嬉しいわ。
次回へつづく!