地下室からのコナトゥス【第十話】

文字数 948文字

さて、と。前回のおさらいをするわね。
ヘーゲルの「欲望の主体」は対象を完全に破壊することが不可能で、また、そんな破壊は結果的に自己の喪失を帰結する。「欲望の主体」は対象に絶対的に依存している。欲望は「それが破壊する世界なしにいかなる同一性も維持できない」。欲望は対象を破壊するだけじゃ自己を維持できないの。それゆえに、欲望は「破壊から、生きた他なる事物の超越的不可能性を承認することへと、発展しなければならない」のだった、と。こういうわけで、いいかしら。
ヘーゲルの「欲望の主体」はその他なるものを不当にも「対象」に限定しているのです。けれども、「独立した対象の外在性はただ克服されるしかない」のです。消費されるしかないのですよ。
生命的対象の否定ないし破壊は自己自身の「喪失」に帰着するので、自己意識は自己自身を確信するために別の方途を探らねばならないのです。
つまり、対象自身が自立的であり、自己と同様に意識的存在であるとき、自己意識は「他なるもの」において自分自身を鏡のように見出すのです。
かくして、欲望の対象は「他者」に、正確には「他なる自己意識」に移るのでした。欲望は対象を否定することでは〈自己〉を破壊することができないのです。
自己意識のあいだで承認が成立するためには、「相互承認」であらねばならないのです。
自分の自己意識と他者の自己意識の〈あいだ〉で承認を成立させるから、自己と他者の〈あいだ〉に相互承認が必要、ってことかな。
そうなのです。したがって、バトラーはこうまとめるのです。「ヘーゲルの『現象学』の主体は志向的な対象没入と同一性の反省的追及の様態として現れるわけではない。その主体は、その充足のために、間主観的存在として自身を構成するために、他者を要求する欲望としても現れる。他者の、そして他者による承認を通してそれ自身の反映=反省を得ようとする努力において、この主体はその依存が様々な属性のひとつであるだけでなく、その依存そのものが自己であることを発見するのである」と。
一言でまとめると。ヘーゲル的主体は自己を構成するために他者を必要とし、「他者との相互承認」を求める、……ということなのです。
上手く一言まとめになったところで。じゃあ、先へ進みましょうか。
     次回へつづく。
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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