地下室からのコナトゥス【第十三話】
文字数 1,831文字
端折る準備ですよ……、ふふ。全部知りたければジュディス・バトラーの本を買うのです。ボクらはそんなに親切じゃないのです。知りたきゃ自分で金を出すなり図書館へ行くなりするのです。だいたい最近はなんでもネットで済まそうとするから……。
バトラーは「意識の身体化」の契機をサルトルの「性的欲望」に見出したのです。なので、バトラーが自著『欲望の主体』のなかで「性的欲望」について論じている第三章「トラブルと切望 ー『存在と無』における性的欲望の循環」を中心に見ていくことにしましょう。
サルトルは小説家としては『嘔吐』が有名だけど、思想家としての主著は『存在と無』ね。ちなみにハイデガーは『存在と時間』が主著ね。タイトルを混同しがち……にはならないか。うん。なんでもない。進みましょうか。
サルトルは『存在と無』において、性的欲望を「トラブル=混濁」として規定したのです。この性的欲望は、ほかの欲望と異なることに注意なのです。例えば「飢え」においては意識はそれが満たされた状態に向かって「身体的事実性」を超出するので「この事実性は〈対象を目指す〉ので、自分に対しての本性そのものを巻き添えにするものではない」のです。しかし、「性的欲望は私たちを巻き添えにする」のです。
性的欲望が「トラブル」であるのは、意識が「自己をして身体たらしめる」からなのです。言い方が変になってますが、サルトルにとって、性的欲望(セクシュアリティ)は、決してセックス(生物学的性差)から来る本能ではないのですよ。ここはとても重要なので覚えておいてください、なのです。
サルトルは、ジャン・ジュネーという作家の評論を書いて擁護して、有名作家に押し上げたことを思い出すといいわね。ジュネーは盗人で「男娼」で生計を立てていた人物よ。小説を獄中で書いたの。知ってるかもしれないけど、日本のBL(ボーイズラブ)の雑誌の、草分け的存在の名前は「ジュネー」ということも、思い出すといいかも。無関係ではないわ。
次回へつづく!