あるエージェントのターゲットの話【第二話】

文字数 1,180文字

ポリフォニーってあるじゃないですかぁ。
それはもちろん音楽用語じゃなくてミハイル・バフチンが『ドストエフスキーの詩学』で出してきた言葉ね。
えー。またおちんちん。わたし、おちんちんの話はあきたよー。
…………。
バフチンのポリフォニーっていうのは、小説でのモノローグの対立概念としての言葉よ。
ざっくり言うのです。通常、キャラは作者から逃れられないのです。作者が小説を書いているのですからね。なので、小説が作者のイデオロギーや主張の代弁になっているのを、モノローグとバフチンは呼んだのです。トルストイを例にあげていますが、ほとんどすべての小説はモノローグから逃れられていない、とするのです。
それに対して、ドストエフスキーの作品は、ポリフォニーだ、と言っているのよね。ただし、音楽用語のメタファで語れるものじゃなくて、あくまで名前をポリフォニーとしただけだ、とバフチンは書いていたわね。
ドストエフスキーのキャラは、独立した人物のように多面性を持ち、解釈の主体として振舞い、独自の思想の主張者として振舞うのです。ここで重要なのは、登場人物全員が、自らの主義主張を持ち、その主張者として振舞う、ということなのです。
それによりはじめて人物相互の『対話』が成立し、小説以外のジャンルでは表現困難な現実の多元的・多視点的な表現が可能となるのです。
それによって、キャラが作者の駒であるモノローグとしての小説ではないものが可能となる。wikiには書いてないけど、そういうことよね。ただし、優劣をつけたいわけではないので、注意が必要ね。それと同時に、このポリフォニーを駆使できたのはドストエフスキーくらいだ、って話にもなってるのよね、確か。
ここから心理療法のオープンダイアローグなんてのが出てきたわけですが、そのオープンダイアローグの『詩学の3つの原則』のひとつが「不確実性への耐性」である、ということは、逆を言えば、イデオローグとしての個人個人が『場』に集まって『対話』状態になったとき、ひとはコミュニケーションの不確実性と、立ち向かい、振舞わなくてはならない、ということでもあるのですよね。
そう。対話はつねに、モノローグのような予定調和ではない。当たり前のことのようだけど、これは疲れるわよね。
じゃから、なんじゃ。
すまなかったのです、エンマちゃん。議論を試みたのですが、なにも通じなかったのです。バフチンの『対話』とは、会話が通じないのも含めて、この場合、対話というのです。
よーするに、相手にされなかったんじゃろ?
いえす、まいろーど。
松来未祐さんの持ちネタを出すと怒られるからやめて、みっしー。
いえす、まいろーど。
懲りないわね?
じゃから、おぬしはダメ死神なのじゃ。反省せい。
いえす、まいろーど。
じゃ、具体的にどんな話だったかに、入っていきましょうか。
いえす、まいろーど
   つづく。
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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